第1章

創 業

企業合同、敗戦、再出発

1944 ~ 1953

年代できごと
1944
昭和19年
5月

中島粂次

富山県下の東西砺波郡の建設業者12名が発起人となって砺波工業株式会社を創立。資本金は10万円
取締役に中嶋粂次(社長)、木村長次郎(専務)、葭田太一郎、水上与吉、前田助太郎の5名、監査役に安念三達、山本喜信、平田善蔵の3名就任
本社事務所を出町太郎丸3228の種田宅に設置
  06月 マリアナ沖海戦(日本、空母・航空機の大半を失う)
  07月 東条内閣総辞職、小磯内閣成立
  10月 レイテ沖海戦(武蔵など主力を失う)
  11月 マリアナ基地のB29約70機東京を初爆撃
1945
昭和20年
1月第1期決算、完工高17万5,988円、当期利益42円48銭
1月資本金を10万円から19万8,000円に増資
  04月 米軍、沖縄本島に上陸
  08月 広島・長崎に原子爆弾投下
  08月 ポツダム宣言受諾、第2次大戦終結
  09月 GHQ、軍需生産全面禁止を指令
1946
昭和21年
2月第2期決算、初配当6%
  02月 金融緊急措置令(新円切換)
  05月 第1次吉田内閣
  11月 日本国憲法発布
1947
昭和22年
2月西砺土建協会(社団法人富山県建設業協会小矢部支部の前身)の設立、山本喜信取締役が初代会長に就任
7月

木村長次郎

中嶋粂次、取締役社長を辞任、木村長次郎が社長に就任
7月
資本金を70万円に増資
  01月 「2・1ゼネスト」に対しGHQより中止命令
  04月 労働基準法公布
  04月 独占禁止法公布
1948
昭和23年
6月資本金を120万円に増資
6月福井大地震に当社から救援隊を派遣
9月富山営業所開設
 ○出町中学校建設工事
 ○般若中学校建設工事
 ○出町厚生病院建設工事
  03月 芦田内閣
  06月 福井県に大地震(死者3,769人、全壊3万6,000戸)
  10月 第2次吉田内閣
  12月 GHQ、経済安定9原則実施を指令
1949
昭和24年
10月建設業法の制定により建設業登録を受ける
10月資本金を200万円に増資
11月本社事務所を出町太郎丸3264の松田宅に移転
 ○若林中学校建設工事
  04月 1ドル360円の単一為替レート
  08月 シャウプ税制勧告
  11月 湯川博士にノーベル物理学賞
1950
昭和25年
2月

林 市太郎

木村長次郎、取締役社長を辞任、林市太郎が社長に就任
3月金沢営業所開設
10月資本金を250万円に増資
 ○戸出中学校建築工事
  03月 自由党発足(吉田茂総裁)
  05月 国土総合開発法公布
  06月 朝鮮戦争始まる
  07月 GHQの指令でレッドパージ始まる
1951
昭和26年
2月資本金を350万円に増資
4月高岡営業所開設
6月

水上与吉

林市太郎、取締役社長を辞任、水上与吉が社長に就任
7月富山県土木建築労災保険協会の設立、水上社長が監事に就任
8月
富山県土木建築労災保険協会出町支部の設立、水上社長が支部長に就任
10月資本金を500万円に増資
 ○出町中学校雨天体操場新築工事
 ○般若小学校建築工事
 ○高岡市下水道下関・縄手幹線第1号工事
  01月 NHK、第1回紅白歌合戦
  06月 新土地収用法公布(公共事業に必要な土地の収用・使用につき手続・補償などを規定)
  06月 政府、新経済政策を発表
  07月 朝鮮休戦交渉のため証券・繊維相場暴落
1952
昭和27年
12月資本金を700万円に増資
 ○富山県立西部高等学校改築工事
 ○吉江中学校屋内体育館新築工事
 ○庄川中学校建築工事
 ○初めてケーソン工事施工(滑川漁港用ケーソン)
  04月 対日平和条約・日米安全保障条約発効
  04月 となみチューリップフェアが始まる
  05月 メーデー事件
  06月 会社更生法公布(再建可能な破産企業を再建させるため)
1953
昭和28年
8月

上田豊信

水上与吉、社長を辞任、上田豊信が社長に就任
9月富山県建設労働基準協会砺波支部長に上田社長就任
12月資本金を800万円に増資
 ○出町小学校校舎改築工事
 ○県立高岡工芸高校講堂新築工事
  (当社が施工した最初の鉄筋コンクリート造)
  03月 ソ連首相スターリンの死で、証券市場暴落(スターリン暴落)
  07月 朝鮮休戦協定調印
  08月 日本テレビ、本放送開始(民放初のテレビ放送)

第二次世界大戦末期、日本政府は軍需生産を優先し、限られた資材や労働力を効率的に活用するために企業の統合整備を行った。東西砺波郡の建設会社を合併させよという指示が発せられ、それによって砺波工業㈱が生まれた。新会社設立のために集まった発起人は12名、初代社長には、中嶋粂次氏が選ばれた。
昭和19年5月4日に創立総会を開催し、翌日の5月5日に新会社として登記された。株主総数は39名、総数は2,000株であった。
創立当時の工事は、堤防や道路の応急工事が大半であった。企業合同に参加した企業のほとんどが土木関係の会社であったことと、本格的な堤防工事や道路工事を行う余裕が無かったことが原因と考えられる。
その様な中、昭和22年4月、建築木材の製材所として鷹栖製材所を設立、製材工場を自営したメリットは大きく、その後、昭和38年に株式会社鷹栖製材所として分離、後に鷹栖建工㈱として改称する。
昭和22年7月には、初代中嶋社長が佐藤工業㈱に専任することとなり、創業以来専務として采配を振るっていた木村長次郎氏が2代目社長に就任した。その後も林市太郎氏が3代目社長に、26年6月には水上与吉氏が4代目社長に、28年8月には上田豊信氏が5代目社長にとトップがめまぐるしく変わる時代でもあった。
その様な中でも、昭和23年9月に富山、昭和25年に金沢、昭和26年に高岡と各営業所を開設させ積極的に営業エリアを拡げた。会社自身の信用力、売上げ等も上昇し、基盤が確立してくるにつれ、砺波工業㈱こそ自分たちの会社だという愛社精神が社員の中に培われてきた。

12人の発起人と砺波工業株式会社

当時の株券

木村長次郎、葭田太一郎、水上与吉、山本善信、森金吾、前田助太郎、野原重一、半田常蔵、鎧沢吉蔵、山本松蔵、原清二、松田久蔵、以上の12名が新会社の発起人である。資本金の額、株主募集、役員構成、事務所の場所、会社の運営等々協議を行った。株主は39名、筆頭株主は佐藤工業㈱の社長でもあった佐藤久雄氏が筆頭株主であった。本社は砺波市太郎丸で今の砺波市、南砺市、小矢部市内に8カ所の営業所を開設した。

出町新制中学校

庄川河川締切

高岡工芸高校体育館

出町新制中学体育館

旧出町小学校

初代社長 中嶋粂次氏

(昭和19年5月〜昭和22年7月 在任期間3年2ヶ月)
現在の砺波市柳瀬の出身。42歳にて佐藤工業㈱の東京支店長、翌年には取締役就任、翌々年には常務取締役に就任し佐藤工業㈱の大黒柱となる。砺波が発祥の佐藤工業㈱の重鎮を砺波工業㈱の社長として迎え入れることは寄り合い所帯的な会社をまとめるためにも大いに意義がある人選であったと思われる。昭和45年2月28日急逝。享年68歳。

第2章

富山県の代表的な建設会社を目指して

1954 ~ 1963

年代できごと
1954
昭和29年
5月創立10周年記念式

創立十周年

○庄川筋左右堤防欠所復旧工事
 ○砺波税務署庁舎新築工事
  04月 東砺波郡砺波町が市制施行にて砺波市が誕生
  06月 防衛庁設置法・自衛隊法公布
  12月 自民党鳩山内閣
1955
昭和30年
 ○高岡市末広町店舗新築工事
  11月 自由民主党結成
1956
昭和31年
3月資本金を1,000万円に増資
 ○県立高岡西部高校改築工事
  06月 下請代金支払遅延等防止法公布
  12月 日本、国連に加盟
1957
昭和32年
7月資本金を1,300万円に増資
 ○城端産業会館新築工事
 ○県販購農協連富山倉庫新築工事
 ○フルドーザー購入(第1号車)
  07月 経済企画庁、経済白書(早すぎた拡大とその反省)を発表
  10月 ソ連、人工衛星スプートニク1号打上げに成功
1958
昭和33年
1月ブルドーザー(第2号車)購入
6月ロードローラー(マカダム式10トン)購入
11月

ロードローラー購入
昭和33年

資本金を1,500万円に増資
 ○県立高岡女子高等学校体育館新築工事
  03月 日本道路公団、関門国道トンネル開通
  12月 1万円札発行
  12月 東京タワー完成(高さ 333m)
1959
昭和34年
10月中小企業退職金共済法に基づく退職金共済契約加入
12月資本金を1,800万円に増資
 ○主要地方道新湊庄川線雄神橋架換工事
 ○庄川筋左岸堤防復旧工事
  01月 メートル法施行
  04月 皇太子御成婚ブーム
  04月 国民年金法公布
  09月 中ソの意見対立激化
1960
昭和35年
 ○県立高岡女子高等学校増築工事
  07月 東名高速道路、清水市で起工
  12月 閣議、国民所得倍増計画を決定
1961
昭和36年
3月資本金を2,000万円に増資
6月パワーショベル購入(930万円)
10月県立高校建築工事を昭和26年より10年間の長きにわたって当社が施工を担当したことで富山県より感謝状を授与
11月般若鉄工所倒産、2,866万円の手形が不渡りとなる
12月資本金を3,000万円に増資
 ○富山県総合職業訓練所建築工事
 ○栗山道路改良工事
 ○呉羽電報電話局新築工事
 ○砺波厚生病院新築工事
  06月 農業基本法公布
  09月 愛知用水、完工通水(幹線水路長112km、総延1,135km)
  10月 電源開発、御母衣発電所完工(ロックフィルダム)
  10月 大鵬・柏戸、横綱に推挙
1962
昭和37年
1月パワーショベル(日立U106)使用規定の制定
 ○砺波電報電話局新築工事
  03月 テレビ受信契約数1,000万突破(普及率48.5%)
  05月 新産業都市建設促進法公布
  06月 北陸本線北陸トンネル開通(13.87km、日本最長)
  09月 日本道路公団、若戸大橋開通(2,068m)
1963
昭和38年
9月製材部門の鷹栖製作所を独立させ株式会社鷹栖製材所設立。資本金120万円。代表取締役に上田豊信、石﨑喜一郎の2名が就任
12月

富山新港防波堤
ケーソン製作工事
(日本海重工業内)
昭和38年

資本金を3,500万円に増資
 ○富山新港防波堤ケーソン製作工事
 ○富山港西防波堤工事
 ○県立砺波工業高等学校新築工事
 ○富山県販売購買農業協同組合連合会砺波農業倉庫新築工事
  06月 関西電力、黒部川第4発電所完工(ダム高さ186m)
  07月 閣議、新産業都市に富山、高岡など13カ所を決定
  07月 中小企業基本法公布
  08月 富山空港開港
  11月 米ケネディ大統領、テキサス州ダラスで暗殺される

戦後の混乱期を脱し、日本経済の前途にも明るさが見え始める。砺波工業㈱の10年の歴史は、そのまま戦後の歳月と重なっていった。
10周年記念式は、就任して1年足らずの上田社長が指揮をとって本社事務所(砺波市太郎丸の元医員松田恭宅を借りる)にて社員25名と関係者が一同に会し行われた。
昭和30年代に入り、高度経済成長の波に乗って建設業界は好調を期す。創業時には土木部門の完工高が多くを占めていたが、昭和30年からは建築の割合が多くなった。
その様な中、昭和36年11月に大口の施工主でもあった般若鉄工所の倒産(2,866万円の手形が不渡り)により創業以来の危機に直面する。当時の資本金が2,000万円であったことを考えると、時の経営陣の心痛を窺い知ることができる。
これを機に、協同組合的な雰囲気から本当の意味での企業として脱皮できた。30年代の後半には、建築工事では、富山県内の国・県・各市町村・公団・公社の殆どの物件において指名をいただき受注につなげ、施工を積み重ねる事によって信頼を重ねていった。
港湾工事にも進出し、日本海重工業(上田社長が以前在籍していた職場、現在の新日本海重工業㈱)より富山新港の防波堤ケーソン工事を複数回受注し、新しい分野を切開いた。
また、昭和37年に砺波市内各地で着手された圃場整備事業は当社の土木部門での業績に大きく貢献した。事業のピークは昭和40年代、44年・45年が最盛期であった。

砺友会の設立

協力会社で働く者同志で親睦を計り、一致協力し会社の信頼を得る立派な仕事を仕上げ、会社との関係をより緊密にすることを目的として、昭和29年1月「砺友会」という会をつくった。初代会長には土木佐一郎氏(瓦業/砺波市大門)、副会長には島田外次郎氏(大工/砺波市鷹栖)、会計を西村正順氏(大工/砺波市鷹栖)とし設立総会を同志14名で開催した。
その後、会社の発展とともに会員数も増加し続け、最盛期には会員数は100社を超えた。現在は77社にて運営を行っている。

高岡市末広町通り 昭和31年頃

河川工事

砺波電報電話局 昭和37年

立山砂防水谷出張所 昭和38年

土木工事

建築工事

県立砺波工業高等学校 昭和38年

第5代社長 上田豊信氏

(昭和28年8月〜昭和57年12月 在任期間29年4ヶ月)
旧制中学校の教師を長年勤め、企業経営とは全く関係のない職種を経験していた理由から、協同組合的な会社にメスを入れ、改革を行うには適任だった。不断の努力と慈愛に満ちた心で、情熱と正義感を持って社業の発展に粉骨砕身尽力した。富山県建設業協会副会長、砺波商工会議所副会頭、富山県教育委員長、勲4等瑞宝章叙勲、剣道7段範士、平成2年3月8日逝去。享年88歳。

第3章

総合建設業への道

1964 ~ 1973

年代できごと
1964
昭和39年
2月「社是」の規定
7月

本社社屋 昭和39年

本社事務所を新築移転
(砺波市中央町3番21号)
7月

創立20周年集合写真

創立20周年記念式を開催
7月資本金を4,200万円に増資
 ○城端電報電話局新築工事
 ○砺波市庁舎新築工事
 ○砺波市市民会館新築工事
  06月 新潟を中心に大地震、死者26人、全壊全焼2,250戸
  10月 東海道新幹線開業
  10月 オリンピック東京大会開催
  11月 佐藤内閣設立
1965
昭和40年
2月資本金を5,000万円に増資
 ○県立高岡高等学校体育館新築工事
 ○県立砺波工業高等学校体育館新築工事
 ○圃場整備事業各所で始まる
  02月 米機、北ベトナム爆撃開始
1966
昭和41年
8月

「やまびこ」創刊号

社内報「やまびこ」創刊号発刊
10月資本金6,000万円に増資、売上高10億円を達成
 ○氷見電報電話局増築工事
 ○川田病院新築工事
 ○立山砂防 泥谷堰堤災害復旧工事
  05月 中国、文化大革命はじまる
     ・景気上昇「いざなぎ景気」40年下期~50年下期
1967
昭和42年
7月上田社長、地方産業安全水準に尽くした功で労働大臣より功績賞を受賞
11月資本金を7,000万円に増資
 ○富山保健所精神衛生センター庁舎新築工事
 ○野村病院新築工事
 ○日乃出屋製菓所福光工場新築工事
 ○富山県営水道浄化場管理本館他新築工事
 ○峯越連絡林道、ブナオ線全工区工事
  04月 「イタイイタイ病」が三井金属神岡鉱業所の廃水が原因と発表
  08月 公害対策基本法公布
  12月 テレビ受信契約数2,000万を突破(普及率83.1%)
1968
昭和43年
4月石﨑喜一郎監査役逝去、社葬
6月故石﨑喜一郎に全国建設業協会長より功績賞を授与
12月資本金を8,400万円に増資
 ○市立砺波厚生病院病棟増築工事
 ○中越パルプ能町工場マシン及び調整室新築工事
 ○国立療養所北陸荘病棟更新工事
 ○多枝原谷堰堤その4工事
  06月 都市計画法公布
  07月 ケネディ・ラウンドによる第1回関税引下げ実施
     ・国民総生産(GNP)1,428億ドル、米国に次ぎ第2位
1969
昭和44年
1月「砺波工業の歌」の発表会(上田豊信作詞、堀田政二郎作曲)
5月創立25周年記念式典
5月堀上健一取締役土木部長逝去、社葬
10月資本金1億円に増資
 ○新湊電報電話局増築工事
 ○富山県砺波総合庁舎新築工事
 ○富山日産自動車砺波営業所新築工事
  01月 東大安田講堂事件
  05月 東名高速道路全通(346.7km)
  07月 アポロ11号、月面着陸(人類として初めて月を踏む)
1970
昭和45年
2月(初代社長)中島粂次取締役逝去、合同葬儀
 ○日本専売公社富山支局事務所新築工事
 ○雇用促進住宅福光宿舎新築工事
 ○高岡問屋センター組合員建物新築工事
 ○天鳥堰堤工事
  03月 日本万国博覧会EXPO’70、大阪千里丘陵で開催
1971
昭和46年
2月金沢営業所、金沢市芳斉2丁目1番16号に移転
4月資本金を1億1,000万円に増資
7月上田社長、建設大臣より表彰状を授与
7月上田社長、建設大臣より表彰状を授与
当社高岡社屋が完成、事業本部・高岡営業所・福祉センターとして利用
 ○一文字橋架替及び取付道路工事
 ○砺波市立出町中学校建築工事
  06月 立山・黒部アルペンルート開通
  08月 ニクソンショック、金とドルの交換一時的停止、東証ダウ株価大暴落
  08月 松村謙三逝去(88歳)
1972
昭和47年
11月資本金を1億2,000万円に増資
 ○白石道路工事
 ○一般国道156号線道路改良工事
 ○太閤山住宅団地第2住区5工区造成工事
 ○ニュートナミボウル新築工事
  02月 連合赤軍、浅間山荘事件
  05月 沖縄返還
  06月 英ポンドの変動相場制移行(ポンド・ショック)
  07月 自由民主党 田中内閣発足
  09月 日中戦争状態終結、国交正常化
1973
昭和48年
2月河合邦吉監査役逝去、合同葬儀
5月上田社長、勲4等瑞宝章を叙勲
10月社員川上光英殉職、社葬
11月富山菱光コンクリート工業株式会社を設立。資本金2,000万円(当社35%出資)、初代社長に上田豊信就任
11月資本金を1億3,500万円に増資
 ○太閤山住宅団地公共下水道工事
 ○城端町庁舎ほか新築工事
 ○子撫川総合開発事業子撫川ダム建設工事(~51年)
  02月 外国為替を変動相場制へ移行
  08月 金大中事件
  10月 第4次中東戦争はじまる
  10月 第1次オイルショック

東京オリンピックが開催された昭和39年は当社にとっても20周年という記念すべき年でもあった。記念として砺波市中央町3番21号に鉄筋コンクリート3階建ての社屋を完成させた。社是も制定し20年を掛けて企業としての要素を全て満たした形となった。日本全体がオリンピックのお祭り騒ぎに湧いたのだが、終われば一転、それまでの大型のインフラ整備(オリンピック施設・東海道新幹線・名神高速道路等々)の反動で、日本経済自体が停滞局面に入り、建設投資は伸び悩み、受注競争は短期的に激化した。
しかし、日本経済自体が上昇機運にあり、昭和42年後半には回復し、イザナギ景気に突入する。民間投資は製造業・非製造業問わずあらゆる業種で行われた。公共工事も40年代後半からは、地方に中核都市を建設し、人口を分散させ日本全土を改造しようという田中角栄首相の「列島改造論」により活況を呈する事になる。
その様な中で、砺波工業㈱も地方の小建設会社から中堅の総合建設業への脱皮をはかっていた。社員も会社に対して自信と誇りを持ち始めた時代でもあった。当時の地元の代表的な建設物は全て砺波工業㈱の施工であると言っても過言ではないほどであった。社員全員が、自分たちがつくって、お客様に提供しているという誇りと、どこに出しても恥ずかしくない技術を駆使して建設しているという自信を持ったからだ。この、誇りと自信が更に愛社精神を育成し、新たな社風を生み出していった。

峯越連絡林道開設事業ブナオ線全工区工事

一般国道156号線道路改良工事井波町大橋平地先

城端町体育館

砺波市庁舎

立山砂防天鳥砂防ダム

日乃出屋製菓所 福光工場

富山県砺波総合庁舎

城端町庁舎、社会福祉会館、児童館、商工会事務所

創立20周年 社是と松村謙三代議士

創立20周年記念を祝い、松村謙三代議士より当社の社是(昭和39年2月制定)を揮毫した額を寄贈頂いた。松村謙三代議士は福光町出身の衆議院議員で当選回数は7回を数え、厚生大臣・文部大臣・農政大臣を歴任している。戦後、農政大臣として農地改革を提案推進した。日中友好と日中国交回復に生涯を掛けて尽力する。昭和46年に88歳で逝去された。誠実・清廉な人柄で親しまれ多くの政治家に影響を与えた。その松村謙三代議士にも揮毫していただいた社是は今も社員の胸に深く刻まれている。

第4章

全員経営の企業へ

1974 ~ 1983

年代できごと
1974
昭和49年
4月全国土木建築国民健康保険組合への加入
6月

30周年祝賀会

30周年集合写真

創立30周年記念式典

10月当社石丸工場第1期工事竣工
10月第1回富山県建設業野球大会で当社優勝
 ○砺波電報電話局増築工事
 ○リハビリテーション野村  病院新築工事
 ○富山トヨタ自動車砺波支  店社屋新築工事
  08月 ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任
    ・経済成長率−1.4%、名目19.1%(戦後初のマイナス成長)
  12月 三木内閣発足
1975
昭和50年
10月森金吾顧問逝去
10月資本金1億5,000万円に増資
 ○日本海重工業陸機工場新築工事
 ○国立療養所北陸荘病棟新築工事
 ○島田木材ニュータウン千成住宅造成工事
  04月 ベトナム戦争終結
1976
昭和51年
1月営業活動充実のため営業本部を高岡事業本部に設置
2月第6回富山県実業団剣道大会で当社チーム優勝
 ○西赤尾小学校新築工事
 ○上平村立中学校皆葎分校新築工事
 ○国立療養所北陸荘サービス棟工事
 ○城端勤労者体育センター建設工事
  02月 ロッキード事件発覚
  04月 中国、天安門事件
  07月 前首相田中角栄逮捕
  11月 建築基準法改正公布
  12月 福田内閣発足
1977
昭和52年
1月

水谷沢流路工

砺波工業㈱労災互助会設立(会社と協力業者が施工に関して発生した人身事故に対し、会社と会員の相互扶助の精神に基づき弔慰金または見舞金を支給することを目的とする)会長に石﨑弘就任
 ○富山医科薬科大学体育館新築工事
 ○新津津良トンネル工事(〜55年)
 ○水谷沢第7号床固工事
 ○氷見市立宮田小学校改築工事(〜55年)
  ・平均寿命男72.69歳、女77.95歳で世界 1位となる
1978
昭和53年
1月氷見鉄工場閉鎖
10月蔦与三兵衛監査役逝去、社葬
11月和田副社長、勲5等瑞宝章を叙勲
12月資本金1,500万円。 代表取締役専務に中島豊信就任
 ○太閤山第2小学校校舎新築工事
 ○砺波市社会福祉センター新築工事
 ○国民宿舎五箇山荘新築工事
 ○新湊電報電話局新築工事
  05月 新東京国際空港開港(建設決定から12年6,000億円)
  10月 日中平和友好条約発効
  12月 大平内閣発足
1979
昭和54年
4月名称変更、旧本社を本店、旧高岡事業本部を本社とする
5月設立35周年記念式を開催
9月資本金を1億6,500万円に増資
 ○野村病院脳血管センター増築工事
 ○北陸自動車道富山南工事
 ○砺波市農協農産物集出荷貯蔵施設新築工事
 ○雇用促進住宅四方宿舎新築工事
  01月 イラン革命(国王エジプトへ亡命)
  01月 第2次オイルショック
  01月 上越新幹線の大清水トンネル貫通
     (2万2,228m、世界最長の山岳トンネル)
1980
昭和55年
4月富山支店を設置(富山市丸の内2丁目4番13号)
7月富山支店新社屋落成
 ○県営大長谷第3発電所建設工事
 ○富山県砺波青少年の家新築工事
 ○エルコー社屋増築工事
 ○氷見地区百谷隧道工事
 ○境川総合開発事業工事用道路隧道(打越トンネル)
  07月 鈴木内閣発足
  09月 イラン・イラク戦争
1981
昭和56年
10月砺波市五谷地区で地滑り発生、当社は急傾斜地の崩壊防止に全力投入
11月社団法人富山県住宅建物取引業協会に入会
11月全国火薬類保安協会より火薬類取扱優良事業所として表彰(全国で13事業所)
 ○北陸自動車道湯上高架橋工事
 ○栗山病院新築工事
 ○砺波北部小学校増築工事
 ○砺波市文化会館建築工事
  08月 東証ダウ株価、史上初の8,000円の大台に乗る
1982
昭和57年
3月第18回富山県実業団剣道大会で団体優勝
12月

石﨑 弘

上田豊信会長、石﨑弘社長に就任
 ○砺波市庄東小学校建築工事
 ○富山県衛生研究所改築工事
 ○氷見地区森寺隧道工事(〜59年)
  02月 国会で工事談合問題が追及
  08月 台風10号上陸、横断、東海道線の富士川鉄橋橋脚流失
1983
昭和58年
11月火薬類取扱優良事業所として通商産業大臣表彰を受ける(全国で5社)
11月建設雇用改善優良事業所として労働大臣表彰を受ける
 ○市立砺波総合病院病棟建築工事
 ○北陸自動車道入善西工事
 ○特別養護老人ホームやすらぎ荘新築工事
  01月 青函トンネル(53.9㎞)、先進導坑貫通(着工以来19年)
  02月 日本初の実用通信衛星「さくら2号a」打ち上げ
  07月 任天堂、ファミリーコンピュータ発売
  11月 中曽根内閣発足

昭和49年6月1日、創立30周年記念式が砺波市の農協会館大ホールにて行われた。社員数は160名にのぼり鉄工所の社員も含めて一同が会する場は稀であり会社の力強さを感じる機会となった。ただ、この昭和49年という年は日本経済が大揺れに揺れた年でもあった。前年の11月に起こったオイルショックの影響により、金融の引き締め、建築費の高騰に民間の投資意欲が急激にしぼんでいった。
会社としては、昭和44年に資本金が1億円に達し(昭和50年には1億5,000万)、完工高、利益、社員数とそのレベル、会社の組織、実力においても30年にして富山県内の中堅建設会社として確実に前進していると見ても良い状態であった。
昭和57年12月、第39回定時株主総会後の取締役会で上田社長が会長に、そして第6代社長として石﨑弘氏に決定した。昭和28年8月31日、以来29年4ヶ月続いた上田社長の時代は幕を閉じ、石﨑社長の時代が始まった。

鉄工場から株式会社トナミ鉄工へ

豊町鉄工場

砺波鉄工所

トナミ鉄工

当社が砺波市豊町に鉄工場を創設したのは昭和38年10月であった。当社が総合建設業として発展するためには鉄工場は不可欠との判断のもとの投資であった。当社の伸びと同様に、鉄工場の評価も上がり、昭和44年には氷見鉄工場を増設した。その後、豊町の用地が国道の拡幅にあい昭和49年に砺波市石丸に移転、昭和52年12月の株主総会において株式会社砺波鉄工所として独立した。その後は平成4年に本社社屋を新築した後、平成5年には株式会社トナミ鉄工に改称し、イメージカラーやブランドマークを整え、社内だけではなく、他の建設会社や官公庁からも受注を受けるようになった。

北陸自動車道湯上高架橋工事

砺波市文化会館 昭和56年

津々良トンネル

城端曳山会館 昭和58年

砺波総合病院
昭和58年

第6代社長 石﨑弘

(昭和57年12月〜平成12年11月 在任期間18年間)
戦争直後の混乱期、大手建設会社から砺波工業㈱に入社し建築の技術者として、経営者として貢献した。入社当時は土木が主流の会社であったが、石﨑氏が建築出身である事から、徐々に建築の比率が多くなっていった。富山県建築士会会長、富山県建設業協会副会長、砺波商工会議所副会頭を歴任、黄綬褒章、勲5等瑞宝章を受章。平成25年2月25日逝去。享年90歳。

第5章

完工高100億円の時代を迎え、バブル経済とともに

1984 ~ 1993

年代できごと
1984
昭和59年
3月近藤謙治常務取締役逝去、社葬
6月

40周年記念祝賀会

創立40周年記念式典
11月資本金1億8,150万円に増資
11月労働省労働基準局長より第1種無災害記録証(建設業は170万時間)を授与
 ○富山県営総合体育セン  ター新築工事
 ○富山大学工学部校舎建築工事
 ○射水神社参集殿新設工事
  03月 政府、富山など9地域をテクノポリス地域に指定
  03月 江崎グリコ事件
  12月 電電公社民営化
1985
昭和60年
7月石﨑社長、建設事業功労者として建設大臣表彰を受ける
7月境川ダム起工式及び安全祈願祭
 ○境川総合開発事業境川ダム建設工事(〜68年)
 ○砺波南部小学校建築工事
 ○三精工業第6期工事
  03月 日本たばこ産業㈱設立(資本金1,000億円)
  08月 日本航空123便、群馬県御巣鷹山に墜落、520人死亡
1986
昭和61年
10月小矢部市蟹谷地区圃場整備事業完成式に感謝状を授与
11月石﨑社長、黄綬褒章を受章
 ○砺波郵便局庁舎新築工事
 ○立山カセイ増築工事
  02月 北陸地方に豪雪
  04月 ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で大規模な事故
    ・急速な円高により景気後退
1987
昭和62年
3月県営かんがい排水事業庄川右岸地区安川発電所建設工事安全祈願祭(全国最初の農業用水利用発電)
 ○小矢部川流域下水道事業小矢部川幹線小矢部川横  過トンネル築造工事
 ○北陸財務局高岡宿舎B新築工事
 ○一般国道304号線道路改良(新蔵原トンネル)工事
 ○県立高岡高等学校体育館新築工事
 ○共栄製薬第2工場新築工事
 ○浜黒崎野村病院増築工事
  04月 JRグループ各社開業
  10月 ニューヨーク市場大暴落(ブラック・マンデー)、史上最大の下落で、世界の株式市場に波及
1988
昭和63年
4月全国建設厚生年金基金に加入
12月国道8号線滑川・富山バイパス開通(当社施工区間=手屋道路その1、沖道路、一本木道路その1、同その2、北馬場道路その2、同その3、田伏道路その2、上梅沢道路、上島道路その7)
 ○特別養護老人ホームやすらぎ荘増築工事
 ○萩野病院増築工事
 ○県立高岡高等学校第1体育館改築工事
  07月 リクルート事件
  08月 イラン・イラク戦争8年ぶりに停戦
     ・外貨準備高(年末)976億ドル、西ドイツを抜いて世界第1位
     ・対外資産残高(年末)1兆4,693億ドル、英国を抜いて世界第1位
1989
平成元年
3月上田豊信会長逝去、正安寺で社葬
6月無災害記録100万時間達成
9月無災害記録100万時間達成
売上高100億円を達成
 ○日産サニー富山販売
 ○ユニプラス北陸社屋新築工事
  01月 昭和天皇崩御、「平成」と改元
  04月 消費税実施(釣銭の1円硬貨不足)
  06月 中国天安門事件
  07月 参議院議員選挙で与野党の議席数逆転
  12月 東証平均株価3万8,915円(史上最高値)
1990
平成2年
6月境川ダム堤体コンクリート40万m³打設祝賀会挙行
 ○セキハ・ラミックス本社工場建設工事
 ○県立砺波工業高校第2体育館建設工事
 ○ホテルニチマ倶楽部建設工事
 ○山崎機工本社社屋新築工事
  02月 ソ連でペレストロイカ推進(複数政党制の容認など)
  10月 東証平均株価2万円の大台割れ(バブルはじける)
  10月 東西ドイツ統一
1991
平成3年
4月労働省労働基準局長 無災害工事表彰
 ・4月 兔谷第1砂防ダム工事外
 ・7月 市立砺波総合病院核医学棟増築工事外
 ・11月 共栄製薬第2工場増築工事外
 ○三輪病院みわ苑建設工事
 ○立山アルミニウム工業高岡工場増築工事
 ○砺波商工会議所会館新築工事
  01月 イトマン事件、社長解任
  04月 湾岸戦争終結
  05月 千代の富士引退、若・貴ブーム(世代交代)、雲仙・普賢岳の噴火
  12月 ソ連消滅(崩れ去った超大国)
1992
平成4年
2月増山清取締役建築部長逝去、合同葬儀
3月社員守田三郎殉職、社葬
10月宮嶋治男取締役逝去
 ○砺波市立鷹栖小学校新築工事
 ○クリンカーセンター41新築工事
 ○NTC砺波ビル建設工事
 ○富山松下電器管理棟新築工事
  02月 佐川急便事件
     ・なべ底型の長期不況 ・政界再編成
     ・バブル倒産史上最悪(平成3年度の倒産1万1,767件)
1993
平成5年
10月境川ダム完成
 ○法林寺トンネル工事
  05月 サッカーJリーグ発足
  08月 細川内閣成立(55年体制の崩壊)
     ・ゼネコン汚職 ・凶作で米不足騒ぎ

昭和60年以降の10年間は、日本経済にとって起伏の大きい時代であった。バブル景気から(昭和61年12月から平成3年2月までの51ヶ月間)崩壊までの僅かの期間に天国と地獄を見た企業は数知れない。都会では都市再開発や超高層ビルの建設など、大型プロジェクトが目白押し、大手建設会社を中心に好況を謳歌する時代だった。数年後には地方の建設会社にもその波は押し寄せてきた。当社においても昭和55年から年間完成工事高50億円のレベルを10年続けてきたが、平成に入ってからは景気の波に乗り、一気に100億円の売上を到達出来るようになった。この時期、土木建築を問わず、大きな現場を受注する機会に恵まれ、現場を通して技術力を高める事が出来る絶好の機会でもあった。会社全体に底力がついてきたのは確かである。
もともと地域に根ざし、堅実に成長していくことを常とし、石橋を叩いて渡る経営を掲げていた。確かにそれが会社の信用を築き、企業の基礎を固める原動力になっていたのは間違いない。一方で積極性に欠ける経営になったのも否定できなかった。そういった過去の企業風土を払拭するかのように、平成に入り「県外工事の受注・完成工事高100億円」という目標を掲げた。その結果、平成3年には完成工事高が100億円を超すことが出来た。まさしく時代の波に乗れたということかもしれない。しかし、一時期的な完成工事高の上昇はバブル崩壊と同時に厳しい現実とそのギャップに直面することとなる。

大工事、難工事と現場社員

境川ダム工事

昭和60年代に入り、当社は急激な受注増を記録する。それとともに、難工事とも遭遇する事になる。その典型的な工事が富山県発注の境川ダム工事である。工事は佐藤工業・大日本土木とのJVにより施工されたもので、堤高115m、堤頂長297.5m、総貯水容量5,990万㎥のこのダムは、コンクリートダムの合理化施工法「RCD工法」を採用しており、当時の同工法では日本一の規模であった。当社の請負金額だけでも30億円を超し、昭和60年7月から平成5年11月完成と長期間にわたるものであった。当社の社員も多く尽力し、最新の工法・技術力を身につける良い機会でもあった。

ニチマ倶楽部 平成2年

富山県総合体育センター 昭和59年

砺波市立鷹栖小学校 平成4年

第6章

バブル崩壊、熾烈な企業間競争

1994 ~ 2003

年代できごと
1994
平成6年
4月

FD竣工時集合写真

フローティングドック「立山6500-01」建造
5月当社創立50周年祝賀会
11月当社紺綬褒章受章
 ○防災ダム大谷池築堤工事
 ○伏木富山港岸壁工事
 ○県立高岡女子高校第一体育館改築工事
 ○平村高齢者生活福祉センター建設工事
  04月 民主党 羽田内閣発足
  06月 社会民主党 村山内閣発足
  07月 全国高校総体が富山県で行われる
  08月 第1回全国散居村サミットが砺波で開催
  10月 大江健三郎、ノーベル文学賞受賞
1995
平成7年
4月石﨑弘勲五等瑞宝章を受章
 ○東般若処理施設建設工事
 ○芹川道路その2工事
 ○コーセル㈱研修センター新築工事
  01月 阪神・淡路大震災
  03月 地下鉄サリン事件
  12月 五箇山合掌集落が世界遺産に登録
1996
平成8年
 ○二上浄化センター建設工事
 ○横江宮川用水路第11・第14工区工事
 ○コーセル㈱本社工場増築工事
  01月 橋本内閣発足
  03月 能越自動車道(福岡・小矢部・砺波間)開通
  04月 全国都市緑化フェアを富山で開催
1997
平成9年
 ○平村粲明浄化センター建設工事
 ○伏木富山港岸壁(−10m)北工事
 ○西山橋耐震補強工事
 ○福岡町民総合体育センター建築工事
  09月 ダイアナ妃国民葬
  10月 城端線開通100年記念SLが走る
  11月 サッカーワールドカップへ出場
  12月 瑞龍寺が国宝(県内初)に指定
     拓銀・山一破たん
1998
平成10年
 ○江尻道路その4工事
 ○特別養護老人ホーム三寿苑新築工事
 ○伏木富山港(伏木地区)防波堤(北)その4工事
  02月 長野季期五輪開催
  07月 小渕内閣発足
  10月 和歌山毒物カレー事件4人死亡
1999
平成11年
6月ISO9001取得
6月当社創立55周年
6月高岡本社社屋増設
 ○北陸自動車道若栗新高架橋耐震補強工事
 ○和田川水道管理所ろ過池土木施設改修工事
 ○富山自衛隊体育館新設工事
 ○富山県西部総合体育館新築工事
  01月 欧州単一通貨ユーロが誕生
  02月 脳死移植、初の実施
  09月 神奈川県警などで不祥事相次ぐ
     失業率過去最高、中高年の自殺急増
2000
平成12年
11月

有川成正

石﨑弘代表取締役会長に有川成正代表取締役社長に就任
 ○北陸自動車道庄川橋耐震補強工事
 ○和田川砂防改良砂防ダム工事
 ○国立療養所北陸病院病棟増改築  工事 
 ○特別養護老人ホーム三寿苑増築  工事
  04月 森内閣発足
  07月 とやま国体開催
  07月 能越自動車道(高岡〜福岡間)開通
  07月 東海北陸自動車道(福光〜五箇山間)開通
  08月 三宅島噴火で全島民が避難
2001
平成13年
4月リフォーム事業部新設
 ○北陸新幹線法光寺B・L工事
 ○利賀工事用道路工事
 ○県立平高校寄宿舎新築工事
  04月 小泉内閣発足
  09月 アメリカで同時多発テロ
  12月 敬宮愛子さま誕生
2002
平成14年
4月砺波土木センター発足により編成替え
 ○石瀬道路工事
 ○伏木富山港岸壁その5工事
 ○福岡町健康福祉センター新築工事
  11月 東海北陸自動車道(五箇山〜白川郷間)開通
  01月 欧州単一通貨「ユーロ」が流通
  05月 サッカーワールドカップ日韓共同開催
  08月 史上初の日朝首脳会談
  10月 小柴昌俊さん・田中耕一さんにノーベル賞
2003
平成15年
1月社内報復刊
2月石井哲雄取締役死去 合同葬
8月石丸資材センター廃止
 ○利賀工事用道路その2工事
 ○丹波綾部道路戸奈瀬谷改良工事
 ○砺波市学校給食センター建築主体工事
 ○ケアハウス三寿荘新築工事
  04月 日本郵政公社が発足
  09月 阪神18年ぶりリーグ優勝

平成3年に入り、バブルが崩壊し日本全国で長期の不況が訪れる。「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われる時代である。かつて、不況であれば公共事業による経済の立て直しが政策として行われていた。しかし、財政再建を優先すべきとの世論が強くなり、思い切った経済対策に踏み込めないまま不況は長期化した。平成13年4月に小泉内閣の発足後は「聖域なき構造改革」等の施策により、一見、合理的でグローバルな社会が世の中の景気を上昇させると思われてはいたが、結果として、非正規社員の増加やデフレ化が深刻な問題となり、より深刻な経済環境を生み出すことになる。
弊社も例外ではなく、売上高の減少と、利益率の低下にもがき苦しむことになる。
その様な中、平成12年の11月末に行われた株主総会にて、18年間の間、企業のトップとして活躍頂いていた石﨑弘社長が代表取締役会長に、そして、専務として活躍中であった第7代社長に有川成正氏が就任した。有川社長は、大胆に、そして迅速に社内改革をしなくてはならない必要性を感じそれを断行した。苦渋の選択もあった。仕事をすれば利益が出るという時代は完全に過ぎ去り、いかに工事を効率化し、無理、無駄、ムラの無い施工を行い、どのように利益を生み出すかが現場の命題として課せられることになる。また、他社に先んじてISO9001(平成11年6月認証取得)、ISO14001(平成17年2月認証取得)、COHSMS(平成21年9月認証取得)という品質・環境・安全のマネジメントシステムの構築を積極的に行い、他社との差別化を行った。

フローティングドック「立山6500-01」建造

平成6年4月、当社の50周年を記念して、フローティングドック「立山6500-01」が建造された。当社が港湾工事に着手したのは昭和37年であり、その頃からの夢でもあった自社保有の船でもあり、再度、本格的な港湾工事への参入の旗印でもあった。日本海側最大級、最新鋭のフローティングドックであり、将来の港湾工事の大型化、大水深化に対応できるものであった。社内でも幾度となく議論が行われた結果でもあり、将来の港湾工事計画・需要の推移・発注者の意見等も考慮した上での社運を掛けての設備投資とも言える。現在でも当社の象徴・特色の一つでもあり、会社に対する貢献度も建造20年経過した今でも多大である。

チューリップ四季彩館 平成8年

水谷沢山腹工事 平成14年

東海北陸自動車道 上原橋

砺波市立出町小学校 平成14年

庄川水系和田川砂防ダム

婦中町立 神保コミュニティーセンター

直江津港(港口地区)防波堤
ケーソン製作工事(東港)
平成14年

第7章

デフレ経済、天災そして未来へ

2004 ~ 2014

年代できごと
2004
平成16年
6月

60周年記念パーティー

創立60周年記念の集い
 ○立山砂防スゴ谷工事
 ○伏木富山港道路東西線  橋梁
 ○パナケイア製薬工場増築  工事
  06月 能越自動車道(高岡〜高岡北)開通
  10月 新潟中越地震
  11月 砺波市と庄川町が合併
2005
平成17年
2月ISO14001認証登録
 ○北陸自動車道金沢高架耐震補強工事
 ○利賀川工業用水道浸透池建設工事
 ○葬祭ホール秋桜新新工事
 ○スーパードーム桂店増改築工事
  03月 愛知で「愛・地球博」開催
2006
平成18年
3月射水営業所開設
3月コスモス運用開始
9月「となみ産業フェア・パワー博2006」開催 ブース出展
11月有川成正代表取締役会長に就任
11月

上田信和

上田信和代表取締役社長に就任
 ○砺波神島調整池第2工事
 ○砺波北部地区福祉センター
 ○コーセル立山工場増築工事
 ○竹内製作所工場改築工事
2007
平成19年
 ○新長大橋下部工事
 ○特別養護老人ホーム晴風荘新築工事
 ○富山病院重心病棟更新工事
  03月 能登半島地震
  07月 新潟中越沖地震
  04月 能越自動車道(〜氷見)まで開通
2008
平成20年
4月

高岡おとぎの森

森のふれあい倶楽部(砺波工業・中越緑化・富山興業JV)にて高岡おとぎの森公園の指定管理業務を受託
5月国土交通省大臣顕彰 建設産業人材確保・育成推進功労により
 ○下島大橋下部工事
 ○ちゅうりっぷ保育園新築工事
 ○高重記念クリニック新館建設工事
 ○塩谷硝子富山工場製品倉庫新設工事
 ○スーパードーム輪島店増築工事
  08月 北京オリンピック開催(国内材料の高騰)
  09月 米証券大手リーマン・ブラザーズ経営破綻(リーマンショック)
  11月 米大統領にバラク・オバマ氏当選
     ・東海北陸自動車道全線開通
2009
平成21年
5月創立65周年
8月AED講習会開催
9月「となみ産業フェア・パワー博2009」開催 ブース出展
9月COHSMS認定 富山県第1号
 ○北陸新幹線建設(魚津高架橋、水橋新堀高架橋、高岡江尻高架橋)工事
 ○浜黒崎野村病院新築工事
 ○出町子供歌舞伎曳山会館新築工事
  09月 民主党政権 鳩山内閣発足
  10月 能越自動車道(〜氷見北)開通
2010
平成22年
 ○北陸自動車道富山管内構造物補修工事
 ○青山アレック砺波工場新築工事
 ○オートバックス砺波店新築工事
  06月 民主党菅内閣発足
  08月 砺波工業高校野球部甲子園大会に初出場
2011
平成23年
3月東日本大震災応援(3月・4月)
 ○水谷沢下流山腹工事
 ○砺波北部小学校耐震改修新築工事
 ○富山県消防学校B工区新築工事
 ○地域密着型複合施設せいふう新築工事
  03月 東日本大震災(M9.0)
     ・伏木富山港が日本海側の「総合的拠点港」に認定
2012
平成24年
2月石﨑弘元社長逝去 合同葬
9月「となみ産業フェア・パワー博2012」開催 ブース出展
 ○金沢港防波堤本体工事
 ○伏木富山港東西線付属物設置工事
 ○能登ARSR局舎新築工事
 ○ルンビニ園男子棟改築工事
 ○㈱富山環境整備非加熱無菌育填プラント新築工事
 ○スーパードーム砺波店新築工事
  05月 東京スカイツリー開業
  09月 第2次安倍内閣発足
2013
平成25年
7月研修会開催(砺波ロイヤルホテル 一泊)
11月砺波工業ホールディングス㈱(砺波工業㈱の株式保有会社設立)
 ○北陸新幹線魚津市高架下整備工事
 ○上中野配水場更新工事
 ○出町中学校耐震改修事業
 ○サンエツ金属インキュベーション工房新築工事
 ○JAとなみ野「たまねぎ」乾燥施設新築工事
2014
平成26年
6月創立70周年式典
 ○北陸新幹線小矢部五社野端間高架下整備工事
 ○庄川左岸庄川放水路(吉住工区)その10工事
 ○市立砺波総合病院耐震化整備事業
 ○サンエツ金属めっき第2工場新築
 ○松島浄水場更新事業設計・施工一括発注工事

日本経済は失速し、製造業は安い人件費を求め海外に生産拠点を移していくようになった。その様な中、平成18年の11月末、第7代の有川社長から、第8代の上田信和社長にバトンが繋がれる。39歳の社長を会社の顔として据える事により、新生砺波工業㈱として、若い感性を取入れた会社運営を目指した。
しかし、経済の厳しさは更に増していく。アメリカで発生した平成19年のサブプライムローン問題、平成20年9月のリーマーンブラザース社の経営破綻に端を発したリーマンショックは、国内経済を更に冷やし、公共工事も財政健全化のもとで発注が年々絞られた。公共・民間ともに熾烈な受注競争が起き、ダンピングが常態化、多くの建設会社が市場から消えた。当社においても営業利益どころか、赤字決算をも余儀なくされた。
平成21年9月、民主党の鳩山内閣が「コンクリートから人へ」というフレーズとともに政権交替が起こる。建設業に対する風当たりは一段と厳しく、建設投資額はバブル期の半分まで減少する。談合問題や政治家との癒着、コンプライアンス、偽装等の言葉が溢れ、公共工事悪玉論が乱れ飛んだ。日本経済は平成23年3月11日に起きた東日本大震災・福島の原発問題で更なる苦境に立たされる。この国難に民主党政権は破綻をきたし、自民党が再度政権を担う。それに伴い、防災対策と、インフラの老朽化対策のため、「国土強靭化論」が浮上、維持・修繕・耐震化における予算執行が積極的に行われるようになる。当社としても耐震・維持・修繕工事に速やかに対応できるよう努力、受注につなげた。また、長年の北陸地域の夢でもあった北陸新幹線の工事も当社に取っては厳しい中での受注に貢献し、徐々に確実なる利益を生み出す体制に変化していった。

北陸新幹線と当社

高岡江尻高架橋

魚津六郎丸高架橋

昭和40年に金沢市で開催された一日内閣の席上で砺波商工会議所会頭をしていた岩川毅は、「太平洋側と比べて日本海側は交通網に遅れをとっている。東京から北陸を通って、大阪につながる北回りの新幹線を建設していただきたい」と時の佐藤栄作首相に熱い口調で訴えた。それから50年、念願の北陸新幹線の開業が目前に迫った。砺波工業㈱が施工に携わった工事は、高架橋工事5件、建築工事3件、周辺整備工事2件、当社の請負額だけでも40億円近くにのぼる。公共工事が厳しい時代において、仕事量の確保という面では大きな役割を果たした。

出町子供歌舞伎曳山会館

高重クリニック

立浪眼科医院

伏木ケーソン

オートバックス砺波店

立山砂防スゴ谷

消防学校