2007年6月(社内回覧書類より抜粋)

6月に入り、梅雨入りの時期に向かいました。現場に配属の社員の皆様には、降雨による影響が心配な季節であり、作業内容により工程に影響が心配な季節となりました。より安全に注意した業務をお願いしたいと思います。また、降雨により通勤途上の事故等も考えられます。余裕をもった自己管理をお願いしたいと思います。

今月は、小川義男先生(おがわ よしお:狭山ヶ丘高等学校校長)の著書「気品のある生き方」より人間の持つ素晴らしさを感じた一文を紹介します。この著書は、小川校長が高校の生徒や保護者に向けて執筆している学校通信からの抜粋との事。荒んだ事件が毎日起こっている現代社会において、人は生まれながらにして素晴らしい生き物であり、もっと良い部分を見直そうという著者の考えに共感を得ました。「国家の品格(藤原正彦著)」など、とかく品格が問われる時代です。一人の人間として一人の日本人として、日々自分の行動に誇りをもって意義ある生活をおくっていきたいものだと考えます。

他人のために生きる尊さ

狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が墜落した。たまたま、私は近くを走っていたので、立ち寄ることにした。

既に付近は閉鎖されていて、近くまで行くことは出来なかったが、それほど遠くない辺りに白煙の立ち上がるのが見えた。見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されている。聞くと操縦していた二人は助からなかったそうである。二佐と三佐と言うから、相当地位の高いパイロットだと言える。二人とも脱出を試みたのだが、高度が足りなく、パラシュートが半開きの状態で地面に激突し、命を失った模様だ。

以前、現在防衛大学校の学生である本校の卒業生が、防衛大合格後、航空コースを選ぶというのを聞いて、私が止めたことがある。「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうだった。「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置がついており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。

その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのだろうか。それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからである。おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができた。四十七歳と四十八歳というから、家族にとり、かけがえもなく尊い父親であったに違いない。それなのに何故彼らはあえて死を選んだのか。

実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのである。柏原小、中学校、西武文理高等学校もすぐそばにある。

百メートル上空で脱出すれば彼らは確実に助かっただろうが、その場合、残された機体が民家や学校に激突する危険があった。彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近した。そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのである。

死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔であっただろうか。それとも、民家や学校を巻き添えにせずに済んだという安堵感であっただろうか。

他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神の何と崇高なことだろう。皆さんはどうだろうか。このような英雄的死を選ぶことが出来るだろうか。私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思う。私も必ずそうするだろう。実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのである。

人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(おとし)めようとする文化が今日専らである。しかし、そうではない。人間は本来、気高く偉大なものなのだ。

1999年11月23日17時42分 航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機が埼玉県狭山市に墜落し、乗員2人が死亡、約80万世帯が停電した。事故原因は墜落前、コックピット内に煙が入り込んでいたことなどからエンジンなど機体のトラブルによる事故と見ている。

「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族を上あげるとしたら、それは日本人だ」(駐日フランス大使:ポール・クローデル 昭和18年 パリにて)「国家の品格」(藤原正彦著)より

2007年6月25日

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