2008年5月(社内回覧書類より抜粋)

5月も終盤田植えも終わり、爽やかな風が心地よく新緑が目に眩しい富山でも最も過ごしやすい季節になりました。気分もそして体力においても充実した日々を過ごして頂いている事と思っております。しかし、県内においては建設業界を左右するようなニュースが日々の新聞紙上を賑わしています。社員の皆さん一人ひとりが、砺波工業の社員としての自覚とモラルを再確認して頂き、各々のポジションで業務に精進をして頂きたいと思っています。

さて、国政においては、日々「年金問題」「高齢者の福祉問題」が取りざたされています。皆さんは、これについてどのように思われていますか。両方の問題はともに根底には「物質(お金)的欲求」があります。人々は毎日の生活の中で幸せを求めて働いています。ただ、その幸せとは・・・ある意味、「物質的な豊かさ」が満足されて初めて起きる事象であると思います。しかし、長引く不況下のもと、低い年収で働かなくてはならない現実の中でどのように豊かさを求めればよいのか。

そんな中、「働く理由-99の名言に学ぶシゴト論」(戸田智弘著)という本に出会いました。その一部を紹介いたしますので、それぞれが自分自身の働く意義を再度認識頂き、精神的な豊かさ(幸せ)を追求しながらも、その豊かさをより積極的な業務遂行に生かして頂きたいと思います。

人生の標準モデルが消えた

現役時代にがむしゃらに働き、もちろん人生の目的なんて面倒なことを考える必要もなく(そんな余裕もなかったのかもしれないが)生活のために家族のために必死で働いてきた。

月日はめぐり定年を迎える。「これからは、年金だけでなんとか食べていける」しかしながらハタと考える。「これから自分は何を目的に生きていったらいいのだろうか」

生きるために働く必要がなくなったとき、

人は人生の目的を真剣に考えなければならなくなる。

これは1930年にケインズ(イギリスの経済学者)が「100年後の予言」をテーマにした講演会で話をした言葉である。

実は、日本国内における人生の標準モデルの本質的な変化が1970年代に起きていたそうです。それは「経済的な豊かさ=幸福=目的」という価値観の方程式が、日本人全員で共有できなくなってしまったということです。

内閣府の調査によると、70年代半ば以降、日本人の価値観は、「経済的な豊かさ」(物質主義的価値観)から「精神的な豊かさ」(脱物質主義的価値観)へと変化したのです。では、経済的な豊かさを叶えるための手段であった仕事において「精神的な豊かさ」とは何なのでしょうか。

多くの人は、仕事の世界では相変わらず「経済的な豊かさ」を求め、仕事以外の世界で「精神的な豊かさ」を求めざるを得ない状況にあると思います。これは本来、多くの人たちにとっては本意ではないと思います。多くの人は仕事の世界でも「精神的な豊かさ」や「ゆとり」というものをもっと重視したいと考えているはずだからです。何故なら、仕事は人生の中で内容的にも時間的にも重要な部分を占めているからです。精神的に豊かな仕事なくして、豊かな人生はあり得ないからです。

これからの時代、みんなの働きがいをどこに求めたらいいのでしょうか。

右肩上がりのさなかならば、昇給が、ボーナスが、出世が励みになりました。部署(世間)ならば売上成績のアップが、会社では業界内のシェア拡大が、日本では、GNP増進が励みとなったでしょう。でももうそうはゆかない。

ではどうすればよいか。右肩上がりがもう望めないとしたら、「自分」の仕事が、誰かの役に立ち、ひいては世の中を回しているという実感が働きがいとなるような、そういう「世界観」を共有していくしかないのではないか。状況の矛盾点、突破口は、おそらくこのあたりにあるはずです。

浅羽通明『野望としての教養』(時事通信社)より

2008年5月23日
上田 信和

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