2010年2月(社内回覧書類より抜粋)

4年に一度の冬の祭典、オリンピック・パラリンピックの冬季大会が行われています。日本選手の活躍に一喜一憂、そして日本選手の雄姿に感動と誇りを感じる毎日です。平素より、忙しさにかまけて、日本人であるという自覚が無いなかで生活をしている自分にとっても、日の丸の旗を仰ぎながら感動を覚えることができる素晴らしい時期だと思っています。選手の皆さんには、全力で、感動するプレーをしていただき、我々もその姿を見て、不景気と言われている時代であっても、勇気と元気をもって日々の生活がおくれるようになればとも思っています。
さて、先日より「仕事の思想 なぜ我々は働くのか」(田坂 広志 著)という本を読んでみました。働く意味、仕事に対する報酬、義務と権利について考えさせられる本だったので、その一部を紹介いたしますのでご一読をお願いいたします。

仕事の報酬とは

仕事の報酬とは何かと言えばまずは「給料」が出てくるのは当然でしょう。しかし、仕事に真剣に取り組んでいくならば、そうした考え方で物足りなさを感じるようになる。その時にはじめて「仕事の報酬は、能力である」という考え方に到達する。それは、仕事を覚えることが面白くなってきたときに見えてくる考え方であり、さらにその考え方がエスカレートしてくると「仕事の報酬は、仕事である」という世界にまで到達する。そして、最終段階として「仕事の報酬は、自分自身の成長である」という考え方にまで到達するのである。

マネージャーという地位の意味

組織においてマネージャーという「地位」を得るということは、義務と責任を負うということです。ではなぜ、敢えて、義務と責任を課せられるマネージャーになろうとするのか。
その理由は2つある。1つは義務と責任が、仕事の「働き甲斐」につながるからです。そして、もう1つは、義務と責任が人間を成長させてくれるからです。つまり、マネージャーは、義務と責任を負うことによって働き甲斐と同時に1人の人間として大きく成長できるのです。
ではなぜ、マネージャーは1人の人間として大きく成長できるのかと言うことですが。1つは、仕事には、必ず何がしかのリスクがあります。その「仕事のリスク」に対する最終責任を持つ立場に立つことによって、人間の精神を鍛え、成長させてくれるからである。
もう1つは、「部下の人生」に責任を持つということによって成長できるという事である。マネージャーには必ず部下が存在し、その地位を得るということは、部下の成長を促し、評価することによって部下の人生に責任を持つということになるのからです。そして、部下の人生に責任を持つことによって、人間として大きく成長できるのである。部下の成長を支えるために、マネージャーに求められるのは、ただ1つ、自分自身が成長すること。そのことに尽きる。

人としての高貴な義務(ノブリス・オブリージュ)

ヨーロッパでよくつかわれる言葉であり、「高貴な人の義務」という言葉の意味です。社会でも、高貴だと呼ばれる人たちは、その高貴さに伴う義務を負っているという考えです。英国などでは、この「ノブリス・オブリージュ」という考え方が上流階級に浸透しており、ひとたび戦争になると、貴族の子弟は、戦場で先陣を争って戦い、その結果、戦死率も他の階層出身の人々よりも高かったと言われています。すなわち、これらの社会の高貴な人たちは、いざとなれば命を賭すまでに自分たちの義務と責任に対して強い自覚を持っていたそうです。そして、その最も優れているところは、彼らがその義務や責任を果たせることに「喜び」を感じていたことにあります。

文章の羅列になりましたが、それぞれが深く関わり合った文章かと思い列記しました。不景気によってギスギスとした世の中になり、義務や責任を果たす前に、常に自分の権利ばかりを主張する、そんな世の中になってきていると思います。私自身は、権利の前には必ず義務や責任が存在すると感じているので、今のような世の中の流れが不思議でならないと思っています。
是非、自分自身の成長を喜びと感じて毎日の行動を行っていきましょう。

2010年2月25日
上 田  信 和

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