2010年8月(社内回覧書類より抜粋)

厳しい残暑が続いています。各現場では熱中症対策に気が抜けない状況が続いていると思います。自分自身の体調管理は当然ですが、作業員の顔色等に十分に注意をはらっていただき、より安全な現場運営をお願いいたします。
先日より高校野球で沖縄の興南高校が圧倒的な強さで優勝し幕を閉じました。
今年の県代表は、当社と同じ名前の「砺波工業高校」が初出場ということで期待をしながら楽しく観戦できました。結果は兵庫県代表の強豪、報徳学園相手に2-3と惜しくも負けてしまいましたが、素晴らしいゲームをしてくれたと思っています。初出場ながら粘り強く、最後まで精神力で負けなかったあの頑張りを見習いたいと思ったとともに、富山県の代表として、地元の声援を背中いっぱいに受けながら、「砺波」とい名前を全国に知らしめたという意味では本当に立派な姿でした。心より「お疲れ様」と言ってあげたい気持ちになりました。

さて、8月20日(金)の富山新聞に「立ち直るか北陸経済」との特集で建設業について書かれていました。「建設業 成長より生き残り」「複業化でも、もがく」との大きな見出しとともに、我が業界の厳しさと、新規事業に取り組むが、なかなか成果が見いだせない現状が記事として載っていました。厳しさが増すばかりではありますが、高校野球と同様、精一杯の修練を行い、愚直に立ち向かう精神を持って今の時代に立ち向かっていかなくてはと思っています。

以前読んだ本で「衆愚の時代」(著者:楡 周平)の冒頭にこのように書かれていました。

世の中から“いい人”と言われる人間になるのは簡単です。耳ざわりのいい言葉を操り、困窮した立場にある人間、いわゆる弱者と呼ばれる人々の側に立ってものを語ればいいのです。首を傾げたくても、あるいは突っ込みどころがたくさんあっても、決して本音を吐かず、ひたすら強きを挫き、弱きを助けるのが、人間の正しいあり方だと語っていればいいのです。

これを読んでどう思われましたか?
著者いわく、これが現在の世の中であり、日々流されるニュースに対するコメントだといいます。多くのメディアからの大量の情報を判断できなくなっている大衆は、これをあたかも正論だと信じて、これを基本にして議論をはじめてしまう。これが今の現実です。果たして、“弱者“の立場に立つこと、そして、弱きを助けることが正しいことなのでしょうか。正しき者が、弱きを助けるべきであり、それが正しきことなのだと思います。
何よりも、何が正しいことかを判断する事が重要になってくることを感じます。

かの松下幸之助氏は「小事は、損得をもって判断してもよい。しかし大事は、利害を超越した正義を根底において判断しなくてはならない」と言いました。
また、小事は情で、大事は理性で判断すべきである(小さなことは情で判断をしても良いが、大きな決断をする時には、情を入れると後悔します。沈着冷静に合理的、理性で判断をすべきです。)とも言います。
大事と小事の峻別ができるかどうかは、その人の器の大小を表しているのかもしれません。何れにしろ、その判断が重要になります。

“強者”が間違っているときにこそ、弱者は全員で強者に立ち向かい、正しき事を貫く事が必要なのだと思います。自分自身が、間違っている「強者」に立ち向かわなければならなくなったとき…どう自分の判断を行うか、また、どこに答えを見つけ出すか。それが大事であればなおさら大変なことだと感じることがありました。自分で自分の胸に手をあてて考える。自分自身を見直し、自分自身の“判断基準”をもつ重要性を感じました。

2010年8月25日
上 田  信 和

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