2011年2月(社内回覧書類より抜粋)

 2月も下旬に入り、やっと雪の心配もしなくて良い季節になりました。今年の雪は降ると覚悟した時に確実にそして大量に降った気がします。また、地域的にも普段はあまり降らない地域に、急に多量に降りました。そして、それは地域の交通機関の麻痺や通行止めをもたらしました。ある意味、建設業の除雪の重要性や災害時の必要性の認識が一時期的とはいえ全国的に理解が得られたのではないかと思います。
ここでもう一度原点に戻り、我々の土木建設業の必要性を認識しましょう。それは、ある一定の地域だけではなく、日本国全土のあらゆる地域において必要だということです。我々は、この必要性を誇りにもって頑張っていかなくてはいけないと思いますし「勝ち残る企業」として、当社も今一度、他社に負けずに頑張っていきましょう。
また、現場従事の皆さんには特に、インフルエンザを含む風邪も流行っていますので、十分な予防処置をお願いいたします。
さて、『論語』には実業家(経営者)が教訓にすべきことが多いといわれています。その中から、今の自分に合う部分がありましたので皆さんに紹介いたします。

争いこそ進歩の源泉
し子いわ曰く、くんし君子はあらそ争うことなし。かなら必ずやしゃ射か。ゆうじょう揖譲してしょうか升下ししか而しての飲む、そのあらそ争いやくんし君子なりと
孔子は、君子はみだりに他人と争うようなことをせず、弓を射ち争うように礼儀正しく正々堂々と争うならば、これを躊躇しないものだという。
揖譲(ゆうじょう)とは、弓術の競技を行うものが競技場に至る階段に上る前、上る時、競技が終わって階段を下りるときに一礼し敗れた者が罰杯として酒を飲むという習慣のことである。
世間には、いかなる場合においても争いをすることはいけないと言う人が多いと思われる。しかし、争いは決して常に拒み退けるべきことではないということも言えるのではないか。
孟子も、「敵国外患なき者は国恒に滅ぶ」と言っている。(外患(がいかん):外部から圧迫を受ける心配。外国から攻められる心配)まさにそのとおりであり、国家が健全な発展を遂げるには、商工業においても、学術技芸においても、外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝つという意気込みがなければならない。
それは、一個人においても同じで、敵と争って必ず勝ってみせるという気概がなくては、決して発達進歩するものではない。
『論語』には「克己復礼」の語がある。「己(おのれに)に克(か)ちて礼に復(かえ)る」ということも、つまりは争いである。私利私欲と争い、善をもって悪に勝たねば、人は人たる道を歩んでゆくようにはならない。
ということは、人は、徳を修めて立派な人間になるには、どうしても争いを避けるわけにはいかないということになる。品性の向上発展は、悪との争いによって初めて成し遂げられるのである。
争いは、社会の進歩の上にも、国家の上にも、個人の発展の上にも、品性の向上の上にも、なければならないものである。

企業も同様である。常に外部(他社)との争いがあり、そこで切磋琢磨してこそ発展があります。他社の良いところを学び、それを極め如何にして自分のものにしていくのか。ただ、そこには善悪の判断が当然必要であります。正しい判断のもと、外との争いに勝てる組織と個人の進化が必要です。そして、そこには必ず、敵と争って必ず勝つという“気概”が必要かと思います。

2011年2月25日
上 田  信 和

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