2011年7月(社内回覧書類より抜粋)

本格的な夏がきました。熱中症対策と工程管理に日々頭に汗をかかなくてはならないと思います。また、数年前より言われ始めた「ゲリラ豪雨」も今年は昨年よりも多く発生するであろうとの予想もあります。「備えあれば憂いなし」大変な事とは思いますが、より想定の枠を広げ、想定外で混乱しないようにお願いいたします。

4ヶ月目のボランティア
先日、東日本での震災が起きてからちょうど4ヶ月になる7月11日に、被災地である岩手県釜石市に20名の業界青年部の同志とともにボランティア活動をしてきました。作業内容は直接、津波や地震で被害を受けた場所ではなく、津波で家を流された家族が仮住まいをする空き家の片付けというものでした。20年も空き家になっていた2階建ての木造住宅は、思ったよりも地震の影響もなく、比較的生活しやすい立地条件のように思えましたが、残された家財道具や生活雑貨が多く、片付けた物を仮置きする場所まで遠いせいもあり、20人×6時間程度の作業になりました。遠くから来た我々に、その家に住む予定の63歳の女性は、珍しいのか、ストレスを発散するかの如く、たくさんの事を話してくれました。家族は何とか助かったのだけど・・・多くの親戚を亡くした現実。災害が起きたばかりの時は3日間何も食事も取れなかった寒くて辛い日々の思い出。夫とともに毎日のように歩いて親戚の遺体を探しに遺体安置所に通った日々の様子。そんな事を聞きながら、彼女が、何気に「私らはまだ幸せだよ・・・命はあるし、家族は何とか助かった。福島の人は、家があっても帰れない、ボランティアの人も来ない、そんな中で頑張っているんだよね・・・いつまで掛るのかね・・・」と原発問題で避難されている人たちを気遣う言葉に胸を打たれました。実際に被災された方々の話や、周辺地域に広がる津波による被害を見ることにより改めて今回の災害の大きさや深い悲しみを覚えました。
 また、翌日には仙台市内の同業者の社長と話をすることができました。災害直後より、社員の安否の確認や、資材・燃料の確保、いつ余震が来るともわからない所での安全な作業の確保、多くの困難を乗り越えて、一日でも早い復興に日々奔走している姿を聞き、「もし自分が当事者だったら本当に出来るのか?」という不安を感じました。ただ、彼の口からは「出来なくても、やらなきゃ駄目なんだよ!」「今やらないで、いつするの?」という鬼気迫る言葉に圧倒されました。また、「仮にこの災害が5年後に同じように起こってたら・・・多分、災害復旧する業者も作業員も重機もなかっただろうね・・・」と言った言葉に疲弊している、私達の業界の不条理を感じました。
被災された方々は、一生懸命になって生活していらっしゃいます。私達は、今ある普通の生活に、そして、働けることに感謝し、自分たちの仕事に誇りを持ちながら頑張っていく必要があると感じました。私達の業種は、多くの人達の生活を支えるインフラを整備しています。我々が生活している地域で災害が発生し、水道・電気・通信・道路・家屋・ビル・・・それらが被害にあったとき、その地域で復旧に当たるのは、その地域の建設会社でしかないのです。私達は、今こそそのことを誇りに思う時だと思いました。

 地震発生後にインターネットに投稿された”つぶやき”を集めた「prayforjapan.jp」にはこのような書き込みがあったそうです。

停電すると、それを直す人がいて、断水すると、それを直す人がいて、原発で事故が起きると、それを直しに行く人がいる。勝手に復旧しているわけじゃない。俺らが室内でマダカナ~とか言っている間クソ寒い中死ぬ気で頑張ってくれている人がいる。
今回の、ボランティア活動を通して、我が業界の大切さと、日本人そのものの生き方について多くの事を知ることができました。自分自身、一人でも多くの人にこれを伝える義務があるし、是非皆さんにもわかっておいてほしいと思います。誇りをもって頑張っていきましょう。

2011年7月25日
上 田  信 和

※ 一部:(「凛とした日本人」:著者:金美齢)より参照
※ 復興の狼煙ポスタープロジェクト(http://fukkou-noroshi.jp/を)のポスターを社内に掲示しました。
このポスターを見て何かを感じて頂ければ嬉しいです。

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