2011年8月(社内回覧書類より抜粋)

今年の夏は、お盆までは本当に暑い酷暑の日々が続き、お盆の後は雨とともに冷夏ような天気です。数年前には、お盆を過ぎると秋を感じる涼しさが夕方から感じられていたような気がしますし、ヒグラシの鳴声が暑かった夏の終わりを告げながら鳴いていたような気がします。日本の“夏”がそこにはあったような気がしますし、気忙しい日々の中に、ホッと気が安らぐ一時があったような気もします。酷暑やゲリラ豪雨、日本の気象も異常ならば、我々の生活自体も異常となっているのではないでしょうか。お盆を前後して、今年も終戦から66年というような特集番組が組まれたりしていました。今年は特に、国内政治への不満と震災からの少しでも早い復興も含め、もっと日本人として自信と誇りを持つべきという意見や主張が多かったような気がしています。私も、自分自身を見つめなおし、「国家の品格」の著者、藤原正彦氏の「日本人の誇り」を読みました。多くの考え方とともに、自分を見つめなおす最適な機会ができましたので、その一部を紹介いたします。

日本が追求した幸せな社会とは・・・

日本人は古来より秩序や和の精神を重んじる人種でありました。自由は身勝手な行為として認識し、個人を尊重すると全体の秩序や平和が失われることを知っていました。自分のためより公のために尽くすことが美徳と認識していました。これは、個人が常に競い合い、激しく自己主張し、少しでも多くの金を得ようとする欧米や中国の文化とは異質であります。そのような社会より、人々が徳を求めつつ穏やかな心で生きる平等な社会の方が美しいと考えてきた人種でもあります。
 しかしながら、日本人という人種は、先の戦争で敗戦し、金銭的豊かさや、他人より自分を重んじる欧米人によって、国際的秩序とか平和より自国を尊重し、自国の富だけを求めて自由とか公を大事にした国柄が傷ついてしまいました。(これは敗戦後のGHQの意図的な戦略によるものが大きいと言われています。)その結果、公への献身は軍国主義につながる危険な思想、などと自分たちに言い聞かせられ、個人主義ばかりをもてはやす原因ともなりました。個人主義の欧米各国とその人々は、日本、あるいは日本人が比較にならないほどに争いに彩られた歴史を有しているのです。この結果、社会でも会社でも能力主義という名のもとで全員がライバルとなり、不要となればリストラという名の大ナタで解雇されるようになってきました。家やコミュニティーとの紐帯(つながり、絆)を失った日本人は寄る辺のない浮草のようになってしまいました。困った時には家や近隣や仲間が助けの手を伸べる、という美風を失ったのです。日本人にとって、金とか地位とか名声より、家や近隣や仲間などとのつながりこそが、精神の安定をもたらすものであり幸福の源だったのです。精神の安定=幸福であるとすれば、家や近隣の仲間とのつながりを尊重する、いわゆる“絆”を重んじる社会こそが日本人の考える幸せな社会なのです。

日本を日本たらしめる価値観とは・・・

今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の歩んできた輝かしい価値観を再認識する必要があります。基軸を取り戻す必要があるのです。これなくしては、目前の現象にとらわれ、どんな浮足立った改革をしてみても、どうなるものでもありません。どの選挙でどの政党が勝ち、誰が首相になりどんな政策を打ち出そうが、現代日本の混迷は解決するどころか、ひたすら深まるだけです。祖国への誇りと自信が生まれて来れば、日本を日本たらしめてきた価値観を尊重するようになるでしょう。アメリカが、アメリカンスタンダードである貪欲資本主義をグローバルスタンダードと言い含めて押しつけようとしても「日本人は金銭より徳とか人情を大事にする民族です」と言い抵抗することができたはずです。規制なしの自由な競争こそが経済的に不可欠と主張し強要してきても、こう切り返せたはずです。「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。実際、戦後の奇跡的経済復興も、官と民の和、経営者と従業員の和でなしとげました」と。日本人として、そして日本の企業として、この難局を「経営者と従業員の和」で乗り切りましょう。

2011年8月25日
上 田  信 和

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