2013年3月(社内回覧書類より抜粋)

 いよいよ春めいてきました。北海道では猛烈な寒波により痛ましい事故もありましたが、富山においては例年よりも積雪量も少なく、過ごしやすい、そして建設業にとっては大変助かる日々が続いていた事かと思っています。
 さて、あれから2回目の3月11日がきました。テレビや新聞では特集を組み、今の東北各地の復興状況や被災者の様子を伝えていました。しかし、いつまで被災者という言葉が使われるのでしょうか。一瞬で奪われた平穏でかけがえの無い生活が元に戻らないとはいえ、出来るだけ良い環境で生活を取り戻してもらわないかぎりは、被災者という言葉が無くならないと思うし、同時に本当の復興は終わらないのでしょう。より早い復興を願っております。
皮肉なもので、あの震災によって見直された事があります。それは日本人の持っている心です。
自分よりも他人を思う心、譲り合う心、人に配慮する心など…
例えば、隣国、韓国メディアでは、被災地の人々が互いに譲り合う精神を忘れず、怒号が飛び交うことなど決してなかったと称賛しました。地球の裏側、アルゼンチンでは、被災者がわずかな食事の配給のために根気よく1列に並んで待つ様子を紹介し、どんな状況下でも隣人を尊敬する日本人の強靭な精神性をたたえました。中国では、日本の人々が階段で通行の妨げにならないよう両脇に座り、自然と中央の通路を確保している様子を紹介し、非常事態下における日本人の秩序と冷静さを絶賛しました。ロシアでは、日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在していると伝え、共同通信では、震災当日の11日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも「人々は互いに助け合い、レストランや商店ではペットボトル入りの飲料水を無料で提供し、トイレを開放した」と、それぞれ各国のマスメディアが、日本人の心や精神性の素晴しさを驚きとともに伝えました。そんな事を思い出しながら、「日本はこうして世界から信頼される国となった」(著:佐藤芳直)サブタイトルに「わが子へ伝えたい11の歴史」との文字にも誘われ、我が愚息にもと思い、本を手に取りました。今まさに、忘れかけていた日本人の誇りや気高さ、そして技術力に裏打ちされた経済大国、そんな思いが綴ってある本でした。主たる内容については是非、読んでいただきたい物語ばかりでした。その中に、こんな一文がありました。
 歴史には光もあれば、陰もある。正義もあれば、不幸もあるだろう。
 しかし、絶対に忘れてはいけないことがある。
 それは、時代時代で価値観は違うという真実と、その時代を生きた人々への愛情であり畏敬の念だ。
 現在の価値観だけで歴史を振り返ると、その時代その時代を懸命に生きていた祖先の心 情に思いを馳せられなくなるものだ。

 去る、2月25日、当社の歴史をつくりあげてこられた一人、石﨑弘 元会長が亡くなられました。昭和22年に入社され、昭和57年12月から平成12年11月までの18年間にわたり代表取締役社長をされ、平成16年までの4年間は代表取締役会長をされました。それこそ、激動の時代における弊社の舵取り役・牽引役としてご活躍をいただきました。
その時代の事を考えると それこそ自分の生活を捨て 会社のために心血を注がれたその思いは社員一同の胸の内に深く刻まれているものです。
ご冥福をお祈り致します。

2013年3月25日
上田 信和

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