2014年7月(社内回覧書類より抜粋)

 高校野球の予選が各地区において始まりました。甲子園を目指す毎年恒例の高校球児の暑い戦いです。自分にとっては、遠い昔、自分が中学生のころに夏休みが始まる、そんなドキドキ感や何とも言えない高揚感を思い出す季節でもあります。
ただ、現場にとっては暑い毎日が続き、熱中症に対する対応が心配な季節でもあります。平素の業務で多忙な日々かと思いますが、今一度、気を付けて頂き安全な作業をお願い致します。
 さて、先日、書店の店頭にて「心に火を。」という本を見つけました。何となく手に取りカバーを読むと
「汚れた服で働く父が嫌いだった。誰にでも頭を下げる父が嫌いだった。それでも笑っていられる父が嫌いだった。あの頃の父の歳に近づいた。小さく思えた父の仕事、今なら分かる……。心に火を」
と書かれてあった。思わず手にとりレジに進みました。

「人は、なぜ働くのか?」…日常のあらゆる分野で機械化・IT化が進み、生活は日々、便利に豊かになって世界中とも簡単につながるようになりました。しかし、それによって期待されるべき時間的な余裕は生活の中に生まれることはなくむしろ、以前に比べて猛烈に忙しくなっています。そして、同時に私たちは、あらゆる情報と引き換えに、あらゆる物事への忘却スピードを加速させているような気さえします。毎日の中で出会う物事、人、出来事…自分の事さえも、そして仕事の意味さえも忘れている気がします。
だからこそ、今、「人は、なぜ働くのか?」の問いが必要となるのです。
なぜ働くのか?
給料をもらうため。家族を養うため。自己実現のため。人の役に立つため。会社に言われるから。社会に貢献するためetc…人はそれぞれ、答えは一つではなくていくつもあるでしょう。
どんな仕事も、仕事に向き合う姿勢で、得られる結果は変わってきます。毎日毎日の積み重ねが、その仕事を高みへと導いてくれます。
しかし、頭では分かっていても、その日々の仕事の中で実現するのは難しいものです。日々の仕事には、そんなに変化を感じられないからです。そして、私たちは、日常で触れる誰かの仕事の中に、その人々の仕事によって込められた「仕事への思い」を忘れているからです。そして、その人々の「心の火」を感じられずにいるからです。
心に火がある限り、人はどんな苦難も逆境も乗り超えられるはずです。しかし、心の火が消えてしまうと、生きることすら危うくなるかもしれません。人は誰でも、心の火を持っています。そして、それを大切にした時、仕事への矜持が保たれるのです。

※ 矜持(きょうじ)自信と誇り、プライド

「心の火。」の「あとがき」に書かれていた文章をピックアップしたものです。自分の毎日している仕事、誰も無駄なことをして給料がもらえている訳はありません。全員が、自分の仕事に誇りとプライドを持ってやり遂げる事によって企業としての成果も結果も出てくると思います。「心に火を。」良い言葉だと思います。

2014年7月25日
上田 信和

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