2015年3月(社内回覧書類より抜粋)

3月14日、待ちに待った北陸新幹線が開業しました。全国の各メディアでは、開業までの経緯や反響等について連日のように報道が行われ、14日に至っては一日中特別番組が放送されました。
50年に一度とも、100年に一度とも言われるこの出来事、富山県民とし、北陸に住む者にとって、本当に念願の開業ですし、東京まで陸路で2時間強、時間的な短縮は、人・物そして経済の動きを変えていきます。

ただ、良いことばかりでもないかもしれません。ストロー現象とも言われる症状が出てくるかもしれません。
「国土の均衡的な発展」のためにも、我々の地域が今後とも発展的な変化が出来るよう、より激化する地域間競争の中で、各個人が知恵を絞って、少しでも地域が良くなるように考えていかなくてはならないと思います。

そんな折、ネット上で有名私立大学の特別招聘教授と呼ばれる人が「人口が都市部に集中していったい何が悪い。日本が考えるのは「多極集中モデル」」と発言している事を知りました。内容は以下の通りです。

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2月初旬に総務省が、2014年の人口移動報告の中で、東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏3県と、愛知、福岡、宮城の合計7都県を除くすべての道府県から人口が流出していると発表しました。人口の一極集中が進むことを危惧する報道が相次いでいます。本当に、そんなに問題なのでしょうか?目指すべきは、国土全体の効率を上げることではないでしょうか。

東京に集中して、何が悪いのでしょう。東京に人口が集中することは、ほかの地域を低い地位におとしめることにはなりませんし、東京が日本経済の全体を底上げしているということは否めようがない。東京が勢いを失うことは日本全体にとって良いことではない。2010年から日本全体の人口が減少に転じている局面においては、従来とは違う都市と地方の位置づけを改めて考えるべきではないでしょうか。

高度成長期には道路を整備し、エネルギーを整備し、均衡ある国土の発展というものが基本方針としてあった。でも、これは人口が増加しているから必要であったわけで、減少傾向にある今は、人口を拠点都市に集約し、国土全体の効率を上げることこそ求められているのではないでしょうか。とはいえ、東京だけに一極集中するのが、必ずしもいいと思っているわけではありません。

今回の調査でも福岡県には九州全体から、宮城県には東北全体からの人口流入が増えていることが伺えるため、『多極集中モデル』という在り方を、日本は考えていったほうがいいのかもしれない。一極集中、多極集中を、ただただ「よくない」と嘆く20世紀型の議論から脱却し、冷静に考えて、日本のために新しい人口分布を議論しましょう。

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どう思われましたか。
まさに、東京だけで(多極という観点からすれば名古屋・福岡・仙台等も含めた都市部)すべてが完結できる社会しか見えていないのではないでしょうか。

ある意味、その狭い視野でしか見ることができない事に同情すら感じます。

各地方にはそれぞれの文化や特色があり、そして多くの自然や遺産も残っています。
また、新幹線の開通に伴い、太平洋側に起こるかもしれない地震への危険性や電力の安さ、豊富で綺麗な水、そして安価な工業用地等を求め、多くの企業が富山や金沢に移転してきています。
それこそ本質的な効率化であり、その効率を追求した上での各企業の経営者の判断として都市部からの脱出を行った結果ではないでしょうか。
都市部への集中がもたらしたもの…それは地価の高騰、慢性的な混雑、効率的ではあるかもしれないが地方から集められた人・物が集まってできている社会に本質的な効率化はあるのでしょうか、集中するが故の非効率性も生じているのが現実ではないでしょうか。

日本は、「ものづくり産業」で成り立っていると思います。生産工場を如何に効率化するか、それが企業のノウハウです。
地価が高く、限られた用地の中での生産は果たして効率的なのでしょうか。
また、人は食事をします。食糧を生産しているのは都会ではなく地方です。
日本の自給率は他国に比べ極端に低いのです。
見せかけの効率化のために食糧生産は犠牲にしても良いのでしょうか。
「地域の発展なくして都会の発展もない」と思うのが自然だと思います。
東京まで陸路で2時間強、物理的な時間も短縮され、情報の格差もありません。
生活の快適性は、都会ではなく地方で得られる。
そんな時代になってきたのではないでしょうか。

溢れかえる情報を自分でどう捉え、どう処理するか。本質がどこにあるか。
情報を受け取る側の資質も問われる時代になってきていると感じさせられました。

2015年3月25日
上田 信和

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