2015年7月(社内回覧書類より抜粋)

7月も後半に入り、梅雨も明け、いよいよ夏本番です。

熱中症の発生に特に気をつけなくてはならない季節です。

熱中症は休み明けによく起きると言われています。

土日の連休や盆休に、冷房が効いた場所で生活をして、月曜日や休暇明けに

暑い場所で汗水を大量にかいた場合などが非常に危険な状態になるようです。

身体が急激な温度変化についていけないからのようです。

暑い日、特に連休明けには是非、定期的に水分の摂取を行うなどの対策を

お願いしたいと思います。

 

今、新東京国立競技場の建設に関して議論が白熱しています。

2年前、2020年の夏季オリンピックの開催地に東京が選ばれました。

「おもてなし」という言葉も流行しました。震災復興や原発問題に直面し、

国政も混沌とした状況から抜け出せないままだっただけに、

国民全体は歓喜に沸き、明るい未来に胸躍らせた瞬間だったと思います。

 

このオリンピックのコンセプトは

 

「誰もが未来をつかむことができ、

世界で最も先進的で安全な都市の中心で開催するコンパクトな大会」です。

 

東京という成熟した大都市で、競技者にも観客にも移動の負担が少ない、

コンパクトで都心に集中した会場配置をするということを前面に出して

招致成功に至ったはずでした。

 

新東京国立競技場の建設予算は、当初1300億円でしたが、

最終的にゼネコンの見積は3000億円を超え、

工期も完成予定を8ヶ月も延長するということでした。

これは、明らかに計画・運営する側の失策と言えることだと思います。

これに関する報道では、

「巨額な税金を無駄に使うゼネコン」

「ゼネコンは国の威信をかけた事業だからボランティアしてでも

建築しなくてはならない」

という議論にまで発展する有様には

「甚だ遺憾に感じざるを得ない」と言いたくなります。

 

物事を決定する際には決定者が必要です。

はたして今回の議論の決定者=責任者は誰だったのでしょうか。

それとともに、決定に至るまでの経緯・合理性が全く感じられないのは

何故でしょうか。

 

人間は一度思い込むと、その考えを正当化しようとするそうです。

例えば、夫婦が家を買うために何軒かの物件を見て回り、比較検討した上で、

一軒の物件に絞り購入したとします。

この時点で彼等は家探しのために費やした時間・労力・多額の購入資金を

投じたことになります。

購入してしまうと、次は、自分が愚かな選択をしたとは思いたくないため、

自分たちの投資を正当化しようと考え始め、購入した家の長所を過大評価し、

難点を過小評価しはじめます。

 

ありきたりのキッチンは理想のキッチンになり、

狭苦しいダイニングは居心地のいい空間になる。

多額の資金を無駄にしたとなると、後悔にさいなまれるから、

無意識のうちに賢い選択をしたと自分で思い込むようになるそうです。

 

決断・選択をした後、ある程度の満足が得られた場合は良かったのですが、

全く満足出来ず後悔しか残らない場合もあります。

決断・選択の直後は、自分の選択に自信がなくなり、

もしかしたら悪い決断をしたかもしれないと思う事があります。

これは、一時期的な感情で、その後すぐに選んだものを過大評価することで

自分を納得させようとします。

 

ただ、選択した結果が、あまりにもひどく、

どう頑張っても正当化できない場合もあります。

家を買ったものの、雨漏りはするし、壁や床が傷んでいた…

そこまでいくと正当化しようにも無理です。

こうした場合は自分の非を認めざるを得ず、ただただ後悔することになる。

 

さらにエスカレートした場合、自分の選択が間違っていることに

薄々気付きながら、徐々に行動をエスカレートさせる。

立ち止まって頭を冷やそうとせず、どんどん深みにはまっていきます。

自分を正当化させるために、そして正当化できるまでその行動は続きます。

 

人のこの不合理な考え方、どう思われますか?

誰にでも起こりえる行動であるとは思います。

どれだけ時間や予算を投資しようが、

無益だと思った時点で引き返すべきであるし、

過去とは関係なく、現時点での自分の価値判断にて判断する

必要性があると思います。

決断をすべき場面はいろいろんところにあります。

常に合理的な考え方で判断できるようになりたいものです。

 

2015年7月24日

 上田 信和

 

参考:「不合理 誰もがまぬがれない思考の罠100」

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