2017年9月(社内回覧書類より抜粋)

9月に入ってから比較的涼しい日が多かったように思います。

しかしながら、全国各地では多くの地域で台風の被害が起きました。

被災された方々には少しでも早い復旧をお祈りいたします。

 

さて、10月1日から全国労働安全週間が始まります。

今年のスローガンは

「働き方改革で見直そう みんなが輝く 健康職場」です。

全員が元気に誇りと気概を持って毎日がおくれる職場の創出を

行っていかなくてはならないと思います。

 

そんな中、

「デフレ不況が及ぼす精神的影響とその相互作用」

なるレポートを読んで深く考えさせられました。

物が溢れている現在、本来は豊かで恵まれた環境を謳歌するべきだと思いますが、

何故か世の中には、「働く意味が…」とか「やる気が…」

というような雰囲気が蔓延しているような気がします。

本来は、溌剌とした毎日を送ってもいい筈なのに何故かそういうはいかない。

食べるものが少なかった戦中戦後は、農業がもてはやされ、

農作物を作っている人たちは感謝をされる時代だったそうです。

また、モノがない時代は、モノ作り事態に憧れを感じ、

そして、作り手もより良い品質のモノを提供することに誇りを持って働いていたと思います。

 

しかしながら、モノが溢れてくるとその感覚は薄れてくるようです。

経済は需要と供給の関係であり、

モノが溢れ供給過多になってくると物価が下がる…

そうなるとモノを作っても喜ばれない社会になります。

人間は生活を維持する為に仕事をするというのは当然だとは思いますが、

「仕事のやる気」というのはやはり、

「感謝されている」とか「役に立っている」と思われているから頑張れるところがあるので、

感謝されないモノを作る事は喜びを得られない仕事となってしまうのです。

 

今の社会(デフレ社会)は、モノが溢れているから、

余程の技術的革新や環境の変化がない限りは、

現在あるものを捨てさせないとモノは売れないという社会だと思います。

本能的に(特に日本人は)「勿体無い」という精神性と、

「質素倹約」という道徳観があります。

しかし、モノを売る為には、今あるモノを捨てさせなければならないという作意が発生します。

捨てる文化を良とし、

モノを大切にする行為は悪と評価されてしまう社会=デフレ社会なのです。

そして、需要が少ないというデフレ社会では

「働き過ぎないこと」

「ものを過度に生産しないこと」

そして、それはワークシェアリングや社会保障の充実(働かなくても生活ができる保証)

などが必要となってきます。

 

という事は、今の社会は人が本来持っているべきである

「働く喜び」

「勿体無い」という精神性と道徳観の両方が否定されてしまうのです。

それでは「仕事に対するやる気」が生じないのは当然となってしまいます。

 

「生産性の向上」が叫ばれている今ではあるが、

それは機械化による生産性の向上なのだろうか。

それは、下手すると人間自身が働かなくても良い環境を作るだけになってしまうのではないだろうか。

果たしてそれが、人間にとって幸せな毎日をおくることになるかは非常に疑問が残る気がします。

 

2017年9月25日

上 田  信 和

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