2018年11月(社内回覧書類より抜粋)

11月の後半に入りました。

いよいよ寒い北陸の冬が訪れようとしています。

季節が変わるのは早いもので、少し前までは暑くて…

と言っていたにも関わらず今度は寒くてと、

朝晩も結構冷えるようになってきました。

現場の管理もそうですが、

まずは自分自身の体調管理をお願いします。

 

先日、数人でゆっくりとランチをする機会がありました。

旧知のメンバーとともに初めてのメンバーもいて、

いろんな話ができ、貴重な時間を過ごすことができました。

そんな中で印象に残る言葉と出会うことができました。

「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉です。

 

「セレンディピティ」という言葉は元々

「セレンディップの三人の王子たち」

というペルシャの童話を読んだイギリスの小説家がつくり出した造語です。

折角だったので、その本を読んでみました。

物語は、セレンディップ(現在のスリランカ)という国の話で、

そこには大変賢くて、尊敬されている王様と、

三人の息子がいました。王はできる限りの教育を三人に課し

、息子たちもそれに応え一生懸命勉強をしました。

勉強がひと通り出来たと感じた王は、

今度は三人に多くの経験をさせるために修行の旅をさせました。

その修行の旅の中で、意外な出来事、

たくさんの危険な体験や、貴重な体験を経験し、

その度に自分達の知恵と機転で乗り越え越え、

その度に、偶然にも多くの人たちに出会い、

それらの人たちから信頼や友情を得ていき、

その後、それぞれの息子たちは立派に成長し、

近隣を含めて巨大な国家を作ったという話でした。

 

その話から「セレンディピティ」という言葉は

「素敵な偶然に出会い、予想外のものを発見すること。

また、何かを探しているときに、

探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。

ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴み取ること。

偶察力」という風に日本語訳されましたが、

確固とした和訳は定義されていないようです。

 

ただ、この言葉には三つの重要な要素があります。

①偶然であること

②才気があること

③探していないものを発見する

と言うことです。

 

宝くじや、抽選に当たると言うこととは違い、

そこには「才気」が備わっていなくてはなりません。

 

では、その「才気」はどのようにして備わるのか…

それは努力するしかないと思います。

物語に出てくる三人の王子も、

王子という特別な存在で生まれ育ったという環境ではありましたが、

非常に努力して勉学を行い、修行をし、

そしてそのような「才気・才覚」が芽生え始めたから偶然とも思われる事象が現れ、

そしてそれを乗り越えたから良い結果があるのです。

それは偶然でもあるかもしれないが、

努力した人にだけ与えられるという必然なのかもしれません。

 

このような事例はかなり以前からの科学の中でも多く見受けられ、

X線の発見、ダイナマイトの発見、などは良い例ですし、

現代においても多くの事例があるようです。

しかし、これは努力によって得られるだけではなく、

自分自身で動かなくては必然も生まれません。

 

ことわざに、「犬も歩けば棒に当たる」があります。

本来の意味は「物事を積極的に行う者は時として災いに会う」という意味ですが、

広くは、「やってみると思わぬ幸運に出会う」

という意味も持っています。

セレンディピティも同様であり実際に行動しないことには幸運に巡り合うことは無いのです。

 

この頃、いろんな会に出るようになり、多くの人と出会う機会が多くなってきました。

そして、それぞれの方々が持っているネットワークの中に入って行く、

または紹介してもらうことによって更に多くの新しい出会いができてきました。

この出会いを偶然ではなく必然的な良い出会いとするために

努力していかなくてはならないと思います。

 

2018年11月25日

上 田  信 和

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