2021年8月(社内回覧書類より抜粋)

猛暑の夏から一転、台風の到来、そして梅雨を思い起こさせる長雨、

線状降水帯なる集中豪雨、7月末に発生した静岡県伊豆地方での集中豪雨、

お盆の前後に発生した九州から中国地方を中心とした豪雨、

どちらも50年に一度とも言われるような記録的な集中豪雨でした。

被災された方々にしてみれば、やるせない気持ちでいっぱいのことでしょう。

自然の力は強大です。毎年のように増加する気候変動、

その前には人間の作ったインフラ事業はちっぽけなものかもしれません。

 

しかしながら、被災された方や亡くなられた方々の無念さを考えたら

インフラ整備を生業としている建設業としては何かできないものかと常に考えさせられます。

新型コロナウイルスにおいても、変異株と呼ばれる感染力の強いウイルスの発生によって、

都会を中心に広まった感染拡大は、お盆前後の連休における人流の拡大による影響なのか、

富山県を含め全国的に感染爆発が生じています。

政治による多くの感染拡大に対する対応は行われたにしろ、自己防衛じゃないけれども、

自分たち自身でもっと何か出来る事があるのではないかと思います。

「自粛」「お願い」という言葉だけでは限界なのではないでしょうか。

個々人の努力で感染拡大を少しでも少なくする事が出来ると思います。

それを「政治の無策のせい」と言い切れるのでしょうか?この頃そんな気がします。

 

岸良裕司氏(ゴールドラット・コンサルティング日本代表、「三方良しの公共事業改革」の著者)が

ある本で「最も問題が解決しない考え方」という題名でコメントが載せられていました。

コンサルティング業をしていると相談の中身はそれぞれ違うものの、

問題があって解決しない時には必ず一つの共通した症状があるそうです。

それは「〇〇のせいにする」という事だそうです。

「あそこの会社は力があるから」「うちには人材がいないから」という風に

「〇〇のせいだ」という言葉が必ずどこかに出てくるそうです。

その様な時に、相談者に「〇〇のせいにして問題は解決しますか」と質問すると

誰しもが「解決しない」と口を揃えて答えるそうです。

ただ、何かあればつい「〇〇のせい」にしてしまいます。

その結果、その問題を放置してしまい、本来そこに解決方法や改善方法のヒントが有ったとしても、

気が付かず、結局は有耶無耶になり時間とともに忘れ去られたり、繰り返されたりしてしまうとのことでした。

 

今回の東京オリンピックに日本代表として出場した選手がインタビューで口々に、

「コロナ禍の中でオリンピックが開催して頂いたという事に感謝でいっぱいです」

との言葉を多く聞く事が出来ました。

そんな言葉を聞くたびに胸が熱くなる思いでした。

彼等、彼女らは開催されないかもしれないという不安の中、

「コロナ」や「環境」のせいにせず、精一杯努力し、

国内の選考を勝抜きオリンピックに参加したのです。

まさしく、現状をすべて受け入れ、その中で自分自身、そしてチームとして精一杯努力した結果です。

「〇〇のせい」にしない、そういった人だけが出場し、より良い成果を収められたのではないでしょうか。

我々も、現状を素直に受け入れ、その中で努力していくことを求められている。

その中で、「〇〇のせい」にするのではなく、何が問題なのかを考え、

自分の出来る事を積極的に行って頑張っていくことが大切なのだろうと思います。

コロナ禍においては、自分たちで行えることは「自粛」や「我慢」くらいしか無いかもしれません。

それでも、自分でやれること、それがたくさん集まれば感染拡大が少しでも抑制されていくのではないかと思います。

 

2021年8月25日

上 田  信 和

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