2022年8月(社内回覧書類より抜粋)

8月に入るなり猛暑と言われる日が続いていました。

また同時期に、北陸地方や東北地方、そして台風に伴う東海地方にまで

全国各地で豪雨による災害が多発しました。

毎年のように多発する自然災害ではありますが、あまりにも激甚化する天候による災害は、

減災・防災国土強靭化によるインフラ整備を少しでも早く進めなくては、

より多くの災害に多くの人が悩まされることになるでしょう。

私たちはプライドをもって、この国やこの地域のインフラ整備を

行っていかなくてはならないと災害が起きる度に強く思います。

 

これだけ異常な気候変動や激甚化した災害が発生していたら、

日本の何処に居住しようが少なくとも「生きづらさ」という言葉を感じる事が有るでしょう。

ここで言う「生きづらさ」とは気候変動という外的要因によるものだと考えられます。

この「生きづらさ」について二つの要因があると、ある文章に書かれていました。

一つ目の要因は、「生きづらさ」を感じている人の「外側」にある「社会状況」が

その人を生きづらくさせているという事です。

それは、物価高や労働環境、差別、ハラスメント、学力主義、福祉制度、労働条件などなど…

「生きづらさ」とは自分の「外側」にあるもの即ち「社会の問題点」を

「生きづらさ」という言葉に置き換えている事によって感じるのです。
「責任はあなたにあるわけではない、社会がよくないだけなのだ」という様にある意味、

自己防衛するために問題を外的要因に転嫁させているように感じられます。

二つ目の要因は、「生きづらさ」を感じている人の「内側」にあるという考え方です。

自分自身の体や心が抱える苦痛や苦悩。

それが生きていくことを困難にさせているという状態です。

「外側」にある生きづらさが「社会の問題点」だとすれば、

「内側」にある生きづらさは「個人の問題点」だと言えます。

そして、この自分の内側にある「個人の問題点」には主に三つの問題点に分けられる様です。

 

一つ目の問題点は、「物理的な生きづらさ」です。

これは、体に障がいがあったり、慢性のつらい症状を抱えていたり、

衣食住が満足に確保できないといった困難です。

二つ目の問題点は、「心理的な生きづらさ」です。

これは、極端にネガティブな思考しかできない、人と会うことすら怖いといった困難です。

三つ目の問題点は、「実存的な生きづらさ」です。

これは、自分はなぜ生きているのか、人生はなぜこれほど苦しいのかといった、

自分自身の存在に対する不安に駆られている状態です。

 

文章の中では、多くの方がこの「内側」の生きづらさに足を取られている。

とも書かれていますが、果たしてそうなのでしょうか?

私は世の多くの人は「生きづらさ」の要因を個人の外側にある

社会の問題点として転嫁しているように思います。

他の文献には、「グローバル化する経済の中、人が生きる環境は激変している。

その様な中、[生きづらさ]のような感情のニュアンスに満ちたウェットな言葉は

徐々に現代社会への適応力を失い、現代社会で生きる事の困難さや、助けを求めたい状況を

[生きづらさ]のような曖昧な言葉に転嫁するのではなく、

冷静に細かく各要素に分解して考えた方がいい」と書かれています。

 

皆さんはどう思われますか?

社会的な問題点はそう簡単には解決しないと思います。

私たちは今この時を生きています。

今生きている現代社会の中で外的要因を原因として「生きづらさ」を捉えるのは、

厳しい言い方ではありますが、現実逃避にしか考えられません。

冷静に原因を見つめ、それに前向きに対処していくべきかと思っています。

一緒に頑張っていきましょう。

 

2022年8月25日

上 田  信 和

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