2023年5月(社内回覧書類より抜粋)

5月も終わりになり、木々の葉も緑濃くなり少しずつ初夏が近づきつつあります。

ゴールデンウィーク中に開催された、砺波の春の恒例行事でもあるチューリップフェアには、

県内外から多くの方々がお越しになり、入場者数は35万8千人を数えました。

入場者数が35万人を超えたのは1999年に開催された際の入場者数37万人以来24年ぶりの事だそうで、

昨年の28万2千人からは27%増える大盛況で終わりました。

天候に恵まれたことが一番かとは思いますが、海外からの観光客が見受けられたことからも分かるように、

コロナウイルスによる規制が緩和されたことによる解放感も影響したのではと思います。

私自身も、年度初めから多くの会合や懇親会もコロナ前よりも増えてきているようにさえ感じています。

これにより経済の好循環が回り始めてくれたらと思います。

まさしく、世知辛い世の中からの脱出の時期が来たのかと思っています。

 

ここ数年、「世知辛い(せちがらい)」という言葉をよく聞きました。

意味とすれば

  • こざかしい、計算高い、抜け目がない
  • 世渡りがむずかしい、暮らしにくい

という大きく分けて2つの意味があるそうです。

②の意味は①の意味から転じたものとのことですが、「世知辛い」という言葉はどこから来るのかと言えば、

「世知」とは、本来仏教用語の「世俗の知恵」を意味し、日本では「世渡りの知恵、処世の才」といった意味で

用いられていたそうです。

その意味が転じて「けち、勘定高い」といった意味でも用いられるようになりました。

「世知辛い」の「辛い」は「世知」を強める用法で使われており、

本来「世知辛い」とは「勘定高くて抜け目がない」の意味だったのだそうです。

なぜそれが、「世渡りがむずかしい」「暮らしにくい」となったのかというと、

「世知辛い人(勘定高くて抜け目がない人、小賢しい人、計算高い人)が多い世の中」

「損得ばかりを気にして自分の利益や出世のことだけを考えていたりする世の中」

「媚(こび)を売り誤魔化しをしてでも這い上がろうとする人たちが多い世の中」

では暮らしにくいとなり、「生きにくい」と感じ、やるせなくなっている気持ちを表す言葉となったそうです。

 

2019年12月に中国で初めて報告された、新型コロナウイルス感染症、そしてそれに翻弄されてきた3年間、

取り戻すことは出来ない時期でもあります。

先日も新入社員の皆さんと話していたら、彼等、彼女らの学生生活はまさしく規制だらけの日々だったことを感じました。

今までの生活様式がガラリと変わり、経済状況も変化し、まさしく「世知辛い世の中」になっていたんだと思います。

皆さんの生活や人生にも大きな影響は出ていたと思います。

5月8日から、コロナに対する考え方も変わってきました。

コロナで良い風に変わったことは継続し、元に戻すべきことは少しずつかもしれませんが元に戻す。

私たちの考え方も少しずつ前進しながら、かつ積極的に活動していかなくてはならないような気がします。

 

2023年5月25日

上 田  信 和

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