2024年11月(社内回覧書類より抜粋)

11月も下旬なので当然のことなのですが、いよいよ冬がやって来ました。

…何分、異常なほどに暖かい日が直前まで続いていたので

気温差に体調を崩している人も沢山いるのではと心配している所です。

真冬への対応や積雪への対応は必要ですが、先ずは自分の体調です。

その為にも睡眠時間をしっかりとり、規則正しい生活が必要かと思いますので宜しくお願い致します。

 

さて、唐突ですが、皆さんが、駅で「泣いている子」を見かけたらどうしますか?

多くの人は「泣いている子」を助けなければと思い、なだめながら駅員さんの所に連れていくと思います。

それは、この子が誰かに連れ去られたり、犯罪に巻き込まれたらと考えるからだと思います。

これは「泣いている子」は自分だけの力で状況を打破できない弱い存在であり、

自分自身は、この子を保護できる力があると思うからだそうです。

更には、その状況が、自分に対して「保護する責任」を課してしまうからだそうです。

その責任は「泣いている子」を預けた時点で、自分から駅員に移行し自分はその責任から解放されます。

この様な場合、自分の行為が世間から無責任だと批判されることはないでしょう。

それは、この事例において最も重要なことは責任が誰にあるかではなく、

子どもの身の安全が担保される事が優先だと考えられるからです。

 

では、別の場合はどうでしょうか。

事情により、シングルファザーやシングルマザーになった人がいるとします。

先程のように自分の子どもが「泣いている子」になった場合、

泣いているからといって保護施設等(駅員さん同様)に預けてしまう場合を考えてみましょう。

その行為自体は世間から見れば無責任だと言われても仕方がないと思います。

それは親には子供を産んだ責任があるからです。

ところが、「子供の身の安全」という考え方をすると、子どもを保護する事への責任は社会にもあるという事になります。

親が子供を養育できない状況があれば第三者に助けを求めることや、いろんな優遇を受ける事も権利になるのです。

更には、その人がある日、自分の体調に異変を感じたとしましょう。

簡単に仕事や家事・育児を休むことは出来ません。

家には自分を待っている子供がいますし、外には自分を待っている同僚がいます。

このような場合の選択肢2つあると思います。

1つは、無理をして今の生活を続けること。それによって自分は当面は誰にも迷惑はかけないでしょうが、

いつか取り返しのつかない病気により、かえって職場に大きな迷惑をかけ、

子どもの養育もままならない状況なるかもしれません。

そしてもう1つは、他の人に頼ることです。

仕事・家事・育児を誰かに代わってもらう。

それによって結果的には周囲への迷惑を最小限に抑える事ができるでしょう。

 

これを会社の業務に置き換えるとどうでしょうか。

自分の責務として行っている業務はそれぞれあると思います。

難易度や時間が掛かるものなどいろいろです。

それを難しいからとか、時間が掛かるからといって行わないという事は無責任と言われるでしょう。

しかしながら、その業務をほったらかしにされても困るのは最終的には同僚であり、会社です。

そういう意味では組織や会社の責任とも言えます。

困ったときには、自分に責任があるとしても誰かに頼るという選択肢もあっては良いのではないでしょうか。

そうする事によって大事に至らずに結果的には同僚に対する影響や

企業全体としての問題も最小限に抑えることが出来る場合もあるからです。

自分で最後までやり切る事は当然大切な事です。

しかしながら、困った時に人に頼るという事も大切な選択肢として覚えておくべきかと思います。

その為にも自分の仕事を預ける人や方法を常に考えておくべきですし、

それをお願いできる人間関係や組織作りも必要だと思います。

そうすれば気持ちも楽になると思うし、より多くの事や新しい事を積極的に行っていけるのではないかと思います。

 

2024年11月25日

上 田  信 和

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