第4章(1974-1983)全員経営の企業へ
昭和49年6月1日、創立30周年記念式が砺波市の農協会館大ホールにて行われた。社員数は160名にのぼり鉄工所の社員も含めて一同が会する場は稀であり会社の力強さを感じる機会となった。
ただ、この昭和49年という年は日本経済が大揺れに揺れた年でもあった。前年の11月に起こったオイルショックの影響により、金融の引き締め、建築費の高騰に民間の投資意欲が急激にしぼんでいった。
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会社としては、昭和44年に資本金が1億円に達し(昭和50年には1億5,000万)、完工高、利益、社員数とそのレベル、会社の組織、実力においても30年にして富山県内の中堅建設会社として確実に前進していると見ても良い状態であった。
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昭和57年12月、第39回定時株主総会後の取締役会で上田社長が会長に、そして第6代社長として石﨑弘氏に決定した。
昭和28年8月31日、以来29年4ヶ月続いた上田社長の時代は幕を閉じ、石﨑社長の時代が始まった。