第5章(1984-1993)完工高100億円の時代を迎え、
バブル経済とともに
昭和60年以降の10年間は、日本経済にとって起伏の大きい時代であった。バブル景気から(昭和61年12月から平成3年2月までの51ヶ月間)崩壊までの僅かの期間に天国と地獄を見た企業は数知れない。都会では都市再開発や超高層ビルの建設など、大型プロジェクトが目白押し、大手建設会社を中心に好況を謳歌する時代だった。数年後には地方の建設会社にもその波は押し寄せてきた。
当社においても昭和55年から年間完成工事高50億円のレベルを10年続けてきたが、平成に入ってからは景気の波に乗り、一気に100億円の売上を到達出来るようになった。
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この時期、土木建築を問わず、大きな現場を受注する機会に恵まれ、現場を通して技術力を高める事が出来る絶好の機会でもあった。会社全体に底力がついてきたのは確かである。
もともと地域に根ざし、堅実に成長していくことを常とし、石橋を叩いて渡る経営を掲げていた。確かにそれが会社の信用を築き、企業の基礎を固める原動力になっていたのは間違いない。
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一方で積極性に欠ける経営になったのも否定できなかった。そういった過去の企業風土を払拭するかのように、平成に入り「県外工事の受注・完成工事高100億円」という目標を掲げた。その結果、平成3年には完成工事高が100億円を超すことが出来た。まさしく時代の波に乗れたということかもしれない。しかし、一時期的な完成工事高の上昇はバブル崩壊と同時に厳しい現実とそのギャップに直面することとなる。